4男児の夏休みと、母になって思うこと

小学校4年生の長男、小学校1年生の次男、年中の三男、そして、1歳3ヶ月を迎えつつある四男。

四人揃っての夏休み。

三男はお盆休み以外は保育園があるはずだけれど、上の2人がお休みで、四男も家にいるので「弟の面倒を見る」と張り切って(?)保育園を自主休園している。

夫は、「毎日合宿みたいだな」と言う。確かに、私は男子寮の寮母さん(給食のおばさん)の気分だ。

子供たちは早起きなので、さわやかにラジオ体操に行って、いつも通り朝食をとり、そして宿題を少ししたら長男は遊びに出かける。昼は早めに済ませて、学校のプールに出かけ、夕方帰ってきたら晩御飯。

私は、子供たちの要望を掬い取りながら、それが発生しない隙間をぬって仕事をする。子供が一人、二人と少ない時よりも、ご飯を作る量は増えて大変だけど、なんとなく子供社会ができているので、「恐怖の夏休み」と言うほど恐怖ではなく、割と淡々と日々過ぎている。(夫が子育てと仕事に協力的だということは大きいが。)

母親になって10年目。そして、4男児の母になって1年と3ヶ月。ちょっとはこなれてきたかな、なんて俯瞰して思えるのは余裕が出てきたからか。

ご飯作りは、それほど苦ではなくなった。
ずっと負荷トレーニングを続けていたら、負荷がかかる状態が標準になって、負荷じゃなくなった、みたいな感じだ。

疲れている時にご飯なんか作れない!ってずっと思っていたし、外食が好きだからたまには外で食べたい!って思ってきたけど、そもそも三男と四男を同時に連れて外食するなんて至難の業だし、それ自体がしんど過ぎるから、家で食べるのが一番安全。

そう思うと、「無」になってひたすら、過度に生育の良いきゅうりを刻んで一品増やすとか、とにかく生協の宅配に頼って食材を切らさないようにすれば、疲れた頭をリフレッシュするための料理と思えるくらい、息をするようにご飯を作れるようになった。(ご飯作りが苦手だった私にとっては画期的成長!)

子供たちがわちゃわちゃと部屋を散らかして遊んでいても、「また片付ければいいわ、平和だわ」って思えるし、脱いだものを散らかし放題してあっても「洗濯機が洗ってくれるし」って思える!私、仏!?笑

とにかくこの10年は修行だったんだ。母になるという修行。

それを経て、私は思う。

母になるというのは、責任を持って子供を育てる という経験をさせてもらっているということ。それは、無償の愛を注ぐ「愛情」という感情を抱かせてもらう貴重な経験。

さらには、その経験があるから、周りに存在する小さな子供たち、そして大人であっても、かつては赤ちゃんで、誰かのお腹から生まれてきたと思うと、人類への愛 というのも大袈裟かもしれないんだけど、誰もが幸せに生きてほしいって、心から思うようになった。

誰だって、誰かのお腹から、いろんなドラマを経て生まれていて、愛情をたっぷり注がれて、育ってきた(そうじゃない境遇の人もいるかもしれないけど、実の親じゃなくても絶対に誰かの愛によって育ってきたはず。そうでなければ、存在できない、赤ちゃんってそういう儚い存在だと思う)。

大切な大切な命、大切な大切な一人の「個性」。

だから、誰もが幸せに生きていくこと、それが私の唯一の願い。

お母さんになって、私が変わったこと。それはこうした願いを抱けるようになったこと。

だから、みんな、幸せになっていいんだよ。君たちも、好きな場所で好きなことをやって、のびのびと生きていってね。小さな四人の人たちに、切にそう願っている。


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