パンドラの箱
実家の私の部屋にはパンドラの箱がある。
箱と言っても、深めの衣装ケースと、それに入り切らなくなったものが、マーチンか何かの段ボールに詰め込んである。
開けるには、今はまだ若すぎる。
パンドラの箱には、私が10歳の頃から書き溜めている日記帳が、数十冊収納されていて、それは今も量を増やしつつあり、止まることを知らない。
いつになったら、腰を据えて読めるのか。
ひとつだけ分かるのは、まだ今ではないということ。
アンネ・フランクに憧れて、日記を書き始めたのが10歳の誕生日。
あの頃何を考えて何を記していたかは私も覚えていないし、両親も知らないだろうし、誰も知らない、日記しか知らない。
中学生の頃は、涙のように言葉が溢れ出てたから、1日に何ページも書いた。
高校生の頃は、恋をしていた。アメリカにいた時は、英語で綴った。
息をするように文字を書いた。
大学生になっても、大学院生になっても、その後プー太郎になっても、社会人になってもずっとずっと。
私はかつては定期的に過去の日記を読み返して、当時悩んでたり苦しんでたことがあってそれが解決していたりすると、「もう大丈夫だよ」なんて言葉を書き添えたりしてた。
まるでタイムマシンみたいに、今の私が過去の自分の側に寄り添って、ぎゅっと抱きしめてあげられるような、そんな感覚を何度も味わった。
悲惨で最悪な自分を書き記す理由は、いつかの未来の私がスーパーマンみたいに助けてくれることを、心のどこかで願っていたから。
どんな最低な日だってきっといつか報われる、そんな成長を可視化したかったから、といえばあまりにも理性的すぎるだろうか。
そんな私の過去が詰まったパンドラの箱は、500キロも遠く離れた大阪の実家にあって、東京で生きていると日記を読み返す機会は全く無い。
いや、むしろ読み返さなくて済むように、一冊を書き終えるたびに全部パンドラの箱に閉じ込めてしまっているのかもしれない。
幼くて可愛そうな自分を救ってあげるのは、誰だっていつだって気分が良い。
でも、いつからかだんだん、それだけじゃないことにも気付き始めたんだと思う。
例えば幸せで満たされてキラキラしてた自分を見るのが辛い夜だってある。
一寸の迷いもなく叶うと信じてた夢や、死ぬまで一緒にいると疑わなかった恋人を、持っていた私ともう持っていない私。
目を逸らしたくなるくらい眩い思い出は、まるで太陽みたいで、直視すると涙が溢れる。
そして言うまでもなく、悲しい日の日記はいつまで経っても鮮烈に悲しい。
祖母が死んだ日の日記なんて、何度読み返してもその度に涙を流すから、文字が滲みすぎて、ページが破れそうだ。
だからもう、最近は昨日の日記すら読まなくなった。
いつかもっと大人になった時、微笑みながら読めるのかもしれないし、泣きながら読むのかもしれないし、一度も読み返さずに燃やすのかもしれない。
それでも懲りずにまた今日も文字を綴るのは、たぶんきっと、まだずっと答えを探し続けてる。
幸せな過去があるというのと、幸せな過去がないというのと、一体どちらのほうが不幸せなのだろう?