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『夜鳥』の梗概を解読してみた

2024年8月28日のツイートまとめ。とある方が「浅学であらすじが読めない」とツイートしていた創元推理文庫『夜鳥』(モーリス・ルヴェル)裏表紙の紹介文。見てみれば同じ日本語のはずなのにあまりにも知らない語句が多すぎて当番も読めない。ここまで読めないといっそ燃えるわ! とスマホを出し、昼の30分ほど言葉の森を飛び回ってどうにか解読してみた記録です。

原文はこれです。

仁術の士モーリス・ルヴェルは稀代の短篇作家である。面桶に慈悲を待つ輩、淪落の尤物や永劫の闇に沈みし者澆季に落涙するを、或いは苛烈な許りに容赦なく、時に一抹の温情を刷き簡勁の筆で描破する。白日の魔を思わせる硬質の叙情は、鬼才の名にそぐわしい極上の飧饔である。加うるに田中早苗の訳筆頗る流綺。禍棗災梨を憂える君よ、此の一書を以て萬斛の哀惋を掬したまえ。

創元推理文庫『夜鳥』の裏表紙より

174文字の中に当番のわからない言葉がざっと12ほどもある、うはははは楽しい! というわけで読みと意味をざっくり調べて併記したものがこちら。

仁術の士(じんじゅつのし、医師)モーリス・ルヴェルは稀代の(きたいの/きだいの、世にも稀な)短篇作家である。面桶(めんつう、一人前ずつ飯を盛って配るための曲げ物のうつわ。後には特に乞食が持つものを言う)に慈悲を待つ輩、淪落の尤物(りんらくのゆうぶつ、おちぶれた貴人・美女)や永劫の闇に沈みし者澆季(ぎょうき、道徳が乱れた人情薄い世の中)に落涙する(らくるいする、涙を流す)を、或いは苛烈な(かれつな、はげしい)許り(ばかり)に容赦なく、時に一抹の(いちまつの、ほんのひとつまみの)温情を刷き(はき、筆でさっと撫でるように薄く塗り)、簡勁の筆(かんけいのふで、簡潔で力強い筆致)で描破する(びょうは、描ききる)。白日の魔(はくじつのま、真昼に出会う魔物)を思わせる硬質の叙情は、鬼才(きさい、人間わざとも思えぬ才能)の名にそぐわしい(ふさわしい)極上の飧饔(そんよう、朝晩の食事)である。加うるに(くわうるに、それに加えて)田中早苗の訳筆(翻訳の書きぶり)頗る(すこぶる、大層)流綺(りゅうき、なめらかできらびやか)。禍棗災梨(かそうさいり、ナツメとナシは共に版木となる木。価値が低く無用の書物を版木にのせ印刷刊行すること)を憂える(うれえる、心を傷める)君よ、此の(この)一書を以て(もって)萬斛の(ばんこくの、一万石の、大量の)哀惋(あいわん、かなしみ)を掬したまえ(きくしたまえ、すくいとってください)。

【調べた語句】
稀代(の読みが「きたい」か「きだい」かの確認)・面桶・淪落・尤物・澆季・許り(の読みの確認)・簡勁・白日の魔・飧饔・流綺・禍棗災梨・萬斛

【ツイートしてからご指摘いただいた語句】
「稀代の」は「きだい」より「きたい」の読みが一般的(一応辞書サイトでも両方の読みが出る、変換も両方出る)

「飧餐(そんさん)」だと当番が思っていた語句は「飧饔(そんよう)」、漢字が違う。当番の初期老眼がうらめしい

上記の読みくだし文は当初のツイートにあった誤記を訂正済です。

さて読みかたと語義を踏まえて、もう少し現代語っぽい言い回しに書き換えてみたバージョンがこちら。

医師であるモーリス・ルヴェルは世にも稀な短篇作家である。飯碗を持ち情けを待つ物乞いやおちぶれた貴人、永遠の闇に沈む者が世知辛い世の中に涙を流す様子をあるときは厳しいほどに容赦なく、またあるときはひとつまみのあたたかな心を添えて描ききる。真昼に出会う魔物のような硬質な叙情は鬼才の名にふさわしい極上の食事(読みもの)である。それに加えて田中早苗の翻訳はまことになめらかできらびやか。版木の無駄づかいみたいなクッソくだらない出版物に心を傷めているそこの君、この1冊を読んでうんと泣いてくれたまえ。

元ポストを引用の上、読みがなと意味をツリーで投稿してみたら……想定外にRP数が伸びました。人様の引用ポストでRPが伸びてしまって、少々申し訳ない気分。でも、この紹介文(「あらすじ」ではないですね、「この本の著者と訳者は誰で、どのような本か」を紹介しているだけです)に惹かれ、意味を調べてみたら『夜鳥』読んでみたくなりました。

引用RPやリプライも一部のクソリプと大量のインプレゾンビを除けば好意的なものと誤記誤解へのご指摘が大半でした。『夜鳥』読者の方、「いちど読んで以来探していた、やっと見つけた」と引用をつけてくださる方もいらして『夜鳥』愛されているんだなあと実感。これは実物を手にしてみたくなります。

その他の反応と、それに対して当番が思うこと

「これでは意味がわからない人が大半だろうに、ここまでわかりにくく書く必要があったのか」「壁を築いて、読める人だけ読者になれという意味だろうか」(大意)

「ここまでわからない言葉だらけだといっそ愉快になってくる、よーし調べるぞ!」 と思い立つ当番のような変態もこの世には存在します。本は読める人だけのために存在するのではなく、読もうとする人のためにもまた存在するのです。壁は確かに築かれているかもしれない、しからばその壁を我は登ろう。

「バカは生成AIを知らない」(クソリプ)
情報の中身だけ、結果だけを知りたいのであれば生成AI大いに結構。当番は漢語という芳しい果皮に包まれた美果を自分の手でゆっくり剥いてみる過程を楽しんでいるのであって、そこに「バカはフルーツ自動カッターを知らない」と言ってこられたところで「生成AIは知っていても他人のバズにこのようなクソリプをつけるしか能がないとはなんと無粋な匿名脱糞者であろうか」としか思いませんわねえ。生成AIにお行儀を指南してもらったらいかがかしらん。

「叙情は……」
「『叙情』は訳さないのか」という意味と推察されます。叙情は皆様ご存じかと思って省きました。情緒を叙する(言いあらわす)ことを「叙情」と呼びます。「叙」は「叙述」の「叙」です。「事(事件)」を言いあらわしたら「叙事」、「景色」を言いあらわしたら「叙景」と呼びます。「硬質の叙情」とはハードな文体で情緒や心情を書きあらわしているさまのことですわね。

「翻訳ニキありがとう」
こちらこそ読んでくれてありがとう。あと、当番はニキではなくネキやで。

ちょっと面白かったこと。「白日の魔」という故事成句があるのかと思って検索したら「白日の魔香」という語句と『鬼滅の刃』関連のページばかりがヒットしたこと。当番、『鬼滅の刃』未履修なのですが、作中に「白日の魔香」なるものが出てくるらしいです。読んだほうがいいかしらん。

その後。
まんまと『夜鳥』を読みたくなって書籍通販サイトを回ってみたのですが軒並み一時的に在庫切れ。もしかして、読みたくなった人多数? みんな買っちゃった? 増刷、かからないかしら。東京創元社さん、お願いします!

追記。引用で指摘を頂戴しましたが、モーリス・ルヴェルが実際に医学の学位をとり医師として活動していたかどうかまで当番の検索では到達できておりません。訳書を出している白水社のサイトで「パリで医学を学び」までは確認済。

よって、確認できたところまでの情報をもとに「仁術の士であるモーリス・ルヴェルは」を現代日本語にするならば「医学の徒であるモーリス・ルヴェルは」または「医学生でもあったモーリス・ルヴェルは」がより適切であろうかと存じます。「仁術」は「医は仁術」で「医学」、「士」はここではおそらく「学士」の略でしょうね。というわけで「仁術の士」は「医学の(学)徒」あるいは「医学生」。

【2024年9月1日更に追記】
書店に創元推理文庫『夜鳥』の在庫がないので地元図書館へ行きました。在架していたのは岩波少年文庫のホラー短編集『最初の舞踏会』(短編15作品のうち1本がルヴェルの『空き家』)、そして白水Uブックスの『地獄の門』。

そして、ねえごらんになって! 岩波少年文庫『最初の舞踏会』のルヴェル紹介文。「パリで医学を学び、病院につとめながら」と書いてある!

白水Uブックスの巻末にはルヴェルの略年譜が載っていて、1898年医学を学ぶ、1903年医学を離れる、1914年第一次世界大戦に軍医補として従軍と書いてある! 1898年のルヴェルは23歳、1903年は28歳、1914年は39歳。軍医補がどのくらいの地位でどんな仕事をするのかわからないけれど、これは少なくともルヴェル、医学の博士号は持っていた、医師ではあった可能性が高いのではないかしらん。最初に当番が訳した「医師であったモーリス・ルヴェルは」は間違いではなかった、のかもしれません。もちろん、本当に医学博士だった(医師だった)と確定するには、ルヴェルが博士号を確かに取得した一次史料を探してこなくてはならないわけですけれども。

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