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そのひとを形づくるもの【感想文の日㊷】
こんばんは。折星かおりです。
第42回感想文の日、今夜感想を書かせてくださったのはだいふくだるまさんです。
大好きな旅行やアジアの国々のこと、写真のことなど、昨年4月からたくさんの記事を書いていらっしゃるだいふくだるまさん。昨年10月から今年のはじめにかけては、ご自身の経験をたっぷりと生かした小説『鮭おにぎりと海』(全80話)を連載。エッセイには旅先で撮影された写真もたくさん使われていて、海外旅行気分を味わいながら一週間作品を拝読しました。改めて、ご応募くださりありがとうございます!
それでは、ご紹介いたします。
■言葉の熟成を試みる
noteに文章を書き始めて「書くことの難しさ」を改めて感じた、というだいふくだるまさん。自分が読み手だったときには「作家が締め切りを守らないなんて」とも考えていたけれど、いざ書いてみると自分の思いを言葉に乗せることの難しさに苦労したのだといいます。よりよいものを書くためには、より正しく自分の思いを伝えるためには、どうすればよいか。だいふくだるまさんの「書く」ことへの思いが真っ直ぐに綴られています。
noteで読み、そして書いているひとの多くがきっとぶつかる「書くことの難しさ」。これまでたくさん読んできていても、どんなに書くことが好きでも、真っ白な画面を前に手が止まってしまうこと、ありますよね。
それこそふとしたきっかけで、「あ、あのエピソード書こうではないか!」ということで意欲がむくむくと湧き上がってくるのだが言葉の神様はなかなかわたしのもとへ降りてくることがない。
自分の気持ちや思浮かべた光景にぴったりな言葉を探して、ぐるぐる考える。だからこそ言葉が見つかったときは嬉しいのですが、なかなか苦しく、本当に骨の折れることだと私も思います。
そこでだいふくだるまさんは、とにかく何でも下書きに残し、時間を置いて言葉を見直してみることにしたそう。冷静になって見つめなおし、より洗練された言葉を紡いでゆく。その思いがぎゅっと込められた一文が、きらりと光っていました。
これを機に、もっといろんな人の文章を見て、わたしが紡ごうとしている言葉たちを空気に触れさせよう。
読むことは、言葉を空気に触れさせること。なんて瑞々しく、美しい表現なのでしょう。書くために読む。その積み重ねはきっと、いつの日か自分の文章をぐっと引き上げてくれると、私も信じています。
■陽炎の夢
ご自身が撮影された写真とともに「夏」について綴られたエッセイ。「風物詩」「一体感」「儚さ」の3パートからなる「夏」はどれも熱く眩しく、それでいて少し切ない雰囲気が漂います。
扇風機、すいか、りんご飴、風鈴、するめいか、線香花火…季節を連想させる言葉がこれほどまでに多い季節は夏だけである。
読んでいるだけでわくわくしてくる、夏の風物詩。桜咲く春も、紅葉の美しい秋もいいけれど、確かにここまでたくさんの言葉はなかなか思いつかないような気がします。まだ春の入り口にいるのに、言葉を聞くだけで少し湿った夜風や、お祭りの屋台の匂いをふわりと思い出す。そんな風に感じることが出来るのは、夏が持つ「儚さ」のおかげかもしれません。
縁側で風鈴の音を聞きながら食べるスイカ、誰もいない砂浜で親しい友人だけで集まって灯す線香花火、車輪みたいなハンドルを回してガリガリと削られ繊細な氷の粒となっていくかき氷。そこには力強さもある一方で、なんとも形容し難い儚さがそこにあるのだ。
ひとつひとつの光景が浮かぶ、丁寧な描写が素敵です。ノスタルジックな雰囲気漂う写真を見ていると、優しく手を引かれて夏の夜に連れて行かれるよう。私も次の夏を、楽しみに待ちたいと思います。
■ショートショート :アルカレミア
ある日、田舎町に住む”私”こと"静"のもとへ、近所に住む"藤原さん"が逮捕されたという知らせが届きます。罪名は傷害罪。繁華街で若い男性と喧嘩になり、相手にけがを負わせてしまったのです。しかしその後、事件の目撃者の証言によって絡んできたのは先方だったことが発覚。藤原さんは3週間で刑務所を出て、町に戻ることになるのですが……。
いつも農作業をしていて、時々声もかけてくれて。見た目はおっかないけれど、「たくさん食べて大きくなれよ。」が口癖の穏やかなひと。友人の家に遊びにいくとき必ず藤原さんの家の前を通る静は、藤原さんを温かいひとだと感じていました。それでも、一度逮捕された藤原さんを待ち受けていたのは、町のひとたちの冷たい態度でした。
しかし、静は「お祝い」のお菓子を持って、藤原さんを訪ねます。そして自分に向けられる冷たい態度に気づいている藤原さんに、きっぱりと告げます。
「そういう人たちは、単に小心者なだけだよ。藤原さんのことをよく知らないから、くだらない噂を信じちゃうんだよ。」
藤原さんと一緒にいるところを近所のひとに見つかってお母さんに怒られても、藤原さんの畑が荒らされても、静は憤り、藤原さんに寄り添います。藤原さんが、「因果応報」だとその状況を受け入れようとしても。
しかしある日、藤原さんは町を去ってしまいます。静はやりきれない気持ちを、友人のゆかりに打ち明けます。
「そう、なんだってあんないい人が町を追い出されなきゃならないんだろ。」
「うん、静の気持ちもわかるけど、仕方ないことかもね。人を呪わば穴二つ、って言うしね。」
「自分の罪を悔い改めれば、神様は許してくれるんじゃないの?」
「そんなのは違う国の世界で起きること。私たちが住んでいる町なんて、高が知れてるから。人の噂でご飯食べている人たちがそんな神様みたいな広い心持ち合わせているわけないじゃない。自分たちの生活範囲を死守することで一杯一杯だよ。」
「許される」ことを信じる静と、現実を見ているゆかり。きっとどちらも正しいのだと、私は思います。すべてをすくい上げることが出来るとよいけれど、この世界はまだ、そうは出来ていない。理想と現実のギャップに気づき、悲しみ、憤る。とてもとても苦しいことだけれど、静はきっと少しずつ、静かに強くなっていくのでしょう。
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毎週土曜日の「感想文の日」、感想を書かせてくださる方を大募集しています!(1~2日程度、ご紹介日を調整させていただく場合があります。現在、4/10以降の回を受け付けています)
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