もったいないかどうかは私が決める
花束を抱えた野球選手が引退セレモニーで語る。
「小さいころから野球選手になりたかった。ずっと自分は野球選手になるんだと信じていた」
巷にはこんな話があふれているから、つい信じ込んでしまう。夢は追い続けてこそ叶う。たゆまぬ努力と強い意志で、ひとつの夢を追い続けることが素晴らしい。
確かに、昔からの夢を叶えるのはとても素敵なことだと思う。長い間同じ思いでいるには、膨大なエネルギーが必要だ。苦しいことがあっても厳しい道のりだと指摘する人がいてもそれを乗り越えて行く人は、強いと思う。眩しいと思う。
でも、夢は途中で変わったっていいんじゃないだろうか。
*
就職活動の面接でいつも指摘された。
「国家資格取るのに、うちの業界でいいの?」
よかれと思って資格欄に書いた「管理栄養士」の文字は、新聞記者を目指す私の足を引っ張った。
病院でも働けるのに?四年間が無駄になるとは思わないの?記念受験じゃないよね?
指摘されると思っていたから、自分なりにかなり深堀りはしていた。栄養士といえば「給食のおばちゃん」という考えはもう古いこと。これからは管理栄養士も聴診器を持って病棟に上がる時代がやって来るということ。病気になる前の「予防」に関しては医師と同じくらい貢献ができる仕事であること。それでも管理栄養士の地位はまだまだ低いこと。そして私は、そんな人に光を当てる仕事がしたくて、報道に関わりたいと思っていること。
他にも病棟での実習を体験して考えたことなど、数パターンの理由を考えていた。納得してくれる面接官が多かったけれど、「無駄」「記念受験」というストレートな言葉は痛かった。ただ疑問に思うから聞いているだけ、珍しいから逆に覚えてもらえるかもと思い、自信を持って答えるように努めていた。
それでも、小さな痛みは知らず知らずの間に積み重なっていたらしい。
「もったいないと思わないの?」
九州まで足を運んだある面接でいつもの通り聞かれた。口を開いたのは三人並んだ面接官の一番右の男性で、残りの二人の女性もどの私の発言よりもその質問に大きく頷いていた。自分の思いは説明できたけれど、面接の会社のビルを出た瞬間、身体が急に重たくなってしゃがみこんだ。
私は管理栄養士にならないといけないの?
新聞記者を目指すのって、そんなにおかしいかな?
ぼんやりしたままバスターミナルを目指して歩く。高速バスに乗り込んでスマホを開くと、友達からLINEが来ていた。
「お誕生日おめでとう!就職活動、お互い頑張ろうね!」
そういえば誕生日だった。それにしても最悪な誕生日だ。数十社受けているのにまだ内定はひとつもない。時間は取られてお金ばかりかかって、私はまだ何の成果も出していない。挙句の果てには「もったいない」にとどめを刺されてしゃがみこんだ。
それでも、返信は努めて明るく。
「ありがとう~!今日は九州で面接。今日は『もったいないと思わないの?』って言われたけどね……」
既読はすぐに付く。
「あらら、せっかくの誕生日なのに。『もったいないかどうかは私が決めます』って思っちゃうよね」
本当だ。その通りだ。
どうしてこんなに単純なことに私は気づかなかったんだろう。今までこね回していた理由なんて、本当はいらないはず。私はただ、私の「なりたい」気持ちのままに進んでいい。
確かに管理栄養士になりたくて大学に進学した。けれど大学四年間の中でたくさんの人と出会って色々な経験を積んで、そのひとつひとつが私を「新聞記者になりたい」という気持ちにさせてくれた。もともとの夢をひっくり返すほどの気持ちが芽生えるなんて、それはそれで素晴らしい価値があるはずだ。積み上げてきたものがもったいなくなることなんてことはないし、もったいないかどうかは自分自身が決めていいのだ。
*
社会人になって三年目。後輩や就活生から就職活動の相談を受けることも増えた。
「全然違う道に進むことを決めても、今までがもったいなくなるなんてことはないんだよ」
至極当たり前のことだけれど、きちんと「言葉」の形で持っておく。それだけで、私は少しだけ強くいられたから。
迷い、悩み、それでも進みたいあなたを支えてくれることを願って。
私はいつも必ず、この言葉を伝えている。
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