やわらかい夢のなか【感想文の日㉟】
こんばんは。折星かおりです。
第35回感想文の日、今夜感想を書かせてくださったのは双目糖子さんです。
あわあわと流れる毎日の出来事や短編小説を、丁寧に綴っていらっしゃる双目さん。使われる言葉がどれも柔らかいけれど決して弱くはなく、とても心地よいのです。読ませていただいた一週間、双目さんの紡がれる美しくて幻想的な世界にたっぷりと浸らせていただきました。改めて、ご応募くださりありがとうございます!
それでは、ご紹介いたします。
■吹奏楽部員はいつだって泣いていた
「部活動」という狭い世界の中に横行する悪しき慣習を美化し、「感動」のネタとして消費する。双目さんは、そんなふうに描かれるテレビ番組の吹奏楽特集を見ると、ドロドロとした気持ちがこみ上げてくるのだといいます。それは、画面に映る現役の高校生たちがあの頃毎日楽器を吹いていた双目さんたちそのものだから。部活動の中に潜む葛藤や苦しみを鋭く切り取りつつ、最後には現役生とあの頃頑張っていた「わたし」に優しく寄り添う、素敵な作品です。
映画や漫画できらきらした場面ばかりが描かれがちな部活動。もちろんよいこともあるけれど、閉鎖的な空間の中、変わる機会を失ったままのものもたくさんあります。お盆と年末年始を除けば月に一回程度しかない休日、先輩・後輩との人間関係、毎日伺っていた顧問の顔色……。
そんな空間の中、双目さんたちをさらに疲弊させたのは「上手」「下手」の烙印でした。判断基準は「学校の音色に合っているかどうか」「顧問に気に入られているかどうか」、たったそれだけ。それでも。
それでも、だれかに「認めてほしかった」「頑張った」と言ってほしかった。まだ高校生だったわたしたちは自分で自分を認められるほど強くもなかったし、昇華もできなかった。もしあの頃に、自分の心を救ってあげることができたなら、音楽を辞めずに済んだのかもしれない。
誰もが抱えていたはずの「認めてほしかった」という思い。昼夜を問わず楽器を吹いて、悩んでは涙していた双目さんの思いが伝わってきて、胸の奥がひりひりと痛みます。けれどそこにきらりと差し込む光。「いま」吹奏楽に関わっている現役生と過去の双目さんへの言葉に、熱いものがこみ上げます。
「努力は報われる」は嘘だった。でも「努力は無駄じゃない」あなたが今日も勉強や趣味や遊びや暇を犠牲にして、努力したことは絶対に無駄じゃない。だから、今日もあなたを褒めてあげてほしい。
顧問も、先輩も、同期も、あなた自身でさえ、あなたを認められないなら、わたしが代わりに言ってやる。あなたは素晴らしい。だれにも否定させやしない。だれがなんて言おうと、あなたは今日も素晴らしい。
部活動に打ち込んでいたひとにも、いまこの瞬間、誰かと何かを比べてしまっているひとにも、きっとこの言葉は響くはず。自信をなくしてしまったとき、私もそっとこの言葉を思い出してみたいと思います。
■一万円を捨てる
お母さまから送られてきた「ねえ、諭吉捨てた?」というLINE。捨てるはずなんてないけれど、送られてきた写真には、確かにごみ箱の中でレシートに埋もれる一万円札の姿がありました。あれ、そういえばあのとき……?
お母さまとのやり取りが微笑ましい、コミカルなお話です。
お母さまからの写真を見た双目さんは、ごみ箱の中で一万円札のそばにあった洋麺屋五右衛門のレシートを頼りに記憶をたどります。そういえば今朝、レシートを整理した。財布の中を見ると……一万円札がない!
けれどもう、お母さまへは「捨てるわけがない」と返信をしてしまったあと。
しばらくして送られてきた母のLINEはあまりにも無慈悲であった。
「諭吉に聞いたところ、もう私の仲間だそうです」南無三!この世に神はいないのか!
お願い!行かないで、諭吉!私たちまだやり直せるよ!
LINEでの会話でありながら、リズミカルで可愛らしいやりとりに頬が緩みます。お母さまと双目さんの間で両手を引かれる「諭吉」の姿を想像して、くすくすと笑いながら拝読しました。
■サボテンと猫、育む
"わたし"こと"小春"は、「重い」という理由で最近彼氏に振られたばかり。プロポーズされたばかりの友人"麻美子"は、彼女にグリーンカフェで見かけたサボテンを育てるよう勧めます。「小春はサボテンを育てて、愛の育み方を学んだ方がいいのよ」。サボテンを育てる中で気づいたこと、変わったこと、変わらなかったこと。そして小春に訪れた、新たな出会いとは……。
「尽くしすぎて振られる女なんて、現代にはもういないと思ってた」
麻美子のこの言葉のとおり「何もしない」ことが苦手な小春。ほとんど手のかからないサボテンを「育てがいがない」といい、週に一度でよい水やりを、毎日行っていました。するとサボテンは徐々に元気をなくしていき、居てもたってもいられなくなった小春はホームセンターへ駆け込むことに。その帰り道に立ち寄った猫カフェで、心を満たすものに出会います。
わたしは一番安いドライのキャットフードとアイスコーヒーを注文した。運ばれてきたキャットフードを与えると、お腹がすいていたのか、猫たちは勢いよく食べはじめた。その姿は生き生きとしていて、与えていることがきちんと昇華されていくのを感じた。これだよ、これ。これこそが正しい愛だよ。
与えてもそれが裏目に出るサボテンと、与えたものをきちんと消化してくれる猫。「これだよ、これ。これこそが正しい愛だよ。」というカジュアルな小春のモノローグからも、滲み出るような満足感がひしひしと伝わってきます。
「とどまっていた愛が流れるとこ」を見つけた小春は、猫カフェに通うようになり、そのうちに店長の"小池さん"とも親しくなってゆきます。そして一緒に出かけた動物園で、小池さんがぽろりと本音を零しました。
保護された猫たちが羨ましいんですよ。小春さん、いつもごはんあげにきてくれるじゃないですか。いっぱい食べてる姿見て、ぼくもあんな風に受け取れたらなあって思ったんです。
それでもどうしてだか受け取ることが苦手で、人づきあいが向いていない、と重ねる彼。それならば、少しずつ。
小池さんの無防備な手が歩幅に合わせて揺れている。手には触れなかった。小池さんが、溢れてしまわないように。
最後の最後まで「サボテン」と「猫」、「小池さん」と「小春」の対比が本当に見事で息をのみました。複雑な心の内を描きながら、前向きに抜けるラストも素敵で、爽やかな読後感に包まれました。
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