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中学生

いじめたらいじめ返される。
小学校卒業まで、いじめられっ子といじめっ子は、交互に入れ替わっていった。
中学に入り、3つの小学校から生徒が集まった。
同じ小学校に友達がいなかった私は、違う小学校から来た2人と仲良くなった。
背も高く、可愛くて勉強もできて華やかさもある。そんな2人だった。

ある日、小学校の頃のツートップに話しかけられる。
「いじめてごめんね?仲良くしようよ」
嫌な予感がした。この2人が素直に謝るなんてことは絶対にない。仲良くしてた子たちも「みんなで遊ぼう!」と言ってグループは5人になった。

しばらくして、私はバスケ部に入部した。
5人とも同じ部活に入った。
私だけ背が小さく、ほとんど試合には出してもらえなかった。その頃からまたツートップからジワジワといじめられ始めていた。
案の定、他のクラスメイトの女子に性格が悪いと言いふらされ仲良くしてた子達も巻き込まれると思ったのか逆らえなかったのか…申し訳なさそうに離れていった。

私はまた、1人になった。
部活に行ってもなんだかんだと理由をつけ練習をしなくなり、汗を流して練習してるチームメイトを冷ややかな目で見つめた。
ある時、顧問から相談室に呼ばれた。私は貧乏ゆすりをしながら顧問を睨みつけた。
「お前がいるとチームがまとまらない。」
即座に私は「退部します」と返した。顧問はホッとした顔をしてお前は落ちる所まで落ちろ。じゃないと這い上がって来れないぞ?中途半端にグレやがって。と私をなじった。

そこから、中学校時代の思い出がない。
体育祭も文化祭も修学旅行もあったはず。でも、私の記憶には一切残っていない。
睨まれたり罵られたときには、ありとあらゆる言葉で言い返し何もしていないクラスメイトにも暴言を吐いた。
怒りの導火線に火がついたら自分でも止められなかった。
それだけは鮮明に記憶に残っている。
それでも何故か男の子にはモテていた。誰でも良かった。告白してきてくれた子と次々と付き合い、嫌になったら別れる。今でも彼らの名前は思い出せない。
教室には入れてもらえず、相談室で授業を受ける日々。
担任も親には言わなかった。私も報告なんてしていなかった。
弱小だったバスケ部がとある大会で優勝したとき、顧問はわざわざ私のところにきて「ざまーみろ」と言った。
今でもあの顧問の目付き、後ろに見えた光景を私は忘れていない。

私の中学校時代の記憶はこれしかない。

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