「空っぽ」は悲しいフレーズ?
1日のお買い物が終わり、重たい荷物を置いて一息。「さぁ、夕飯のしたく」とお米を磨ごうと米びつを開けると…
米びつにお米がなかった。
こういうことはよくある。そして、私の頭の中では「米びつが空っぽ」のフレーズが浮かんできて(なんとかしないと!)という気持ちになる。時間に余裕があれば、夜であろうとお米を買いにドラッグストアにもう一度出向いたりもする。
どうしてか?
子どもの頃読んだり聞いたお話中では、お米がないということは、家計的には結構大変だというニュアンスが含まれていたので、きっとそのせいだと思っている。
空っぽといえば、子どもたちに読んでいた本のなかに『おだんごぱん』がある。この本は空っぽの粉箱に残っていた少しの小麦粉で焼かれたパンが主人公。焼き上がったところで食べられるのが嫌で、どんどん逃げて、逃げて行く…という展開。残っていた粉から作られた割には、このパンは口も達者で、どちらかと言うと可哀想感は(わたしの中では)ない。
これは日本の主食のお米ではなくて、小麦粉だからなのだろう…と思っている。
そんなことを思いながら、今晩は冷凍ご飯をチン♪して事なきを得たのでした。
最後まで読んでくださってありがとうございます。文章にするのに時間がかかりすぎて、定型でなく、不定期になるかと思いますが、読んでいただけると励みになります ♪