初盆
少し早い母の初盆。
お寺さんも時間きっちりに来られ、「今日は夕方4時半まで、ぎっしりですわ」と帰られた。
暑い中、お昼も食べられるのかわからないと言われてたけど、お盆前後のお寺さんは皆さんそうなんだろうなと。
叔父叔母夫婦と姉、我が家からの3人と父の7人でお昼をいただいて思い出話をしていたのですが…
子どもたち(孫)それぞれに色々笑えるエピソードがあって母らしいなと。
人に嫌な思いをさせないような人でしたが、それでも亡くなる前、数年は思い出の中の母とは違う生活を送り、特にコロナ禍に入ってからは鬱状態もあり一緒に暮らす父はしんどかっただろうなと思います。
母より年上の高齢の父が主介護者という事で、父は家事も母の世話もヘルパーさんの力も借りながら頑張ってくれました。
それでも、今でもどうしたらよかったのか、私の選択でよかったのか私1人が思い返すこと…
母の病名がわかる前から母は私に「頼むね」と何度か言ったことがありました。その時
気持ちよく返事をしてあげたら、母は安心出来るのだろうなと思いながら、私は正直に「わからない」としか言えませんでした。自信がなく、わかったと言えば嘘になるかもしれないと思ったからです。
母が、入退院を繰り返すようになった時、娘として仕事を辞めて介護した方がいいのかケアマネさんにも何度か相談しました。介護相談サイトに投稿したりもしました。近くに介護の先輩もいたので教えてもらったこともありましたが、案外全く知らない人に相談する方が気持ちを整理できるもんだなと思いました。ちょっと子育ての時とにてます。
それなりに仕事には思いもあるし、何より子どもにまだまだお金も必要です。
ケアマネさんは仕事はできる範囲で続けた方がいいとアドバイスしてくれました。介護相談サイトも同じです。
けれど…
両親が近くに越してきた時から、何となく思ってきたことが、いざとなると自分の我儘なんじゃないか?と悩みました。
コロナ禍で姉も来ることができませんでした。姉にも生活があります。
けれど、私もです。いくら近くに住んでるといっても同居ではないので、実家にいる時間も限られます。
結果、どうしても主介護は父になってしまいました。
最終的には家での介護ができなくなってしまい、病院から家にはもどれなかったのですが…
今も一人暮らしの父の様子を見に、週に2.3回実家によるのが日課です。ほんとうに寄るくらいしかできません。
父のことも気になりますが、母に言った最後の言葉が「父さんのこと大丈夫だからね」でした。母との最後の約束…これからも、できる範囲で悩みながら守っていかないといけないと思ってます。
本当は色々な事がもっとできたのだと思います。けれど、コロナ禍ということでできなかったことがあるのは間違いありません。
母が亡くなって、ちゃんとしっかり泣けないままです。まだ、時間がかかるかな…
自分のこれから先の老後のことや、子どもたちの生活もぼんやり考えはじめてます。
最後まで読んでくださってありがとうございます。文章にするのに時間がかかりすぎて、定型でなく、不定期になるかと思いますが、読んでいただけると励みになります ♪