【織々ノ記】#13 誕生日と記憶と花
2023年3月16日
誰かを思い出す時は大抵きっかけがある。その人からもらったものや、その人が好きだった食べ物や音楽、一緒にでかけた場所など、ささいなことでもそれが意識の奥底を刺激してしまう。
あるいは、文学作品でいえば『失われた時を求めて』で、主人公はマドレーヌの香りをきっかけに自身の幼少期を思い出す。私のペンネームの由来でもある「さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」という和歌では、橘の香りが思い出すきっかけになっている。
今日3月16日は、高校時代に好きだった人の誕生日だ。
なぜそんなことを今でも覚えているかというと、彼女の誕生日と兄の誕生日が同じだからだ。ハッピーバースデー兄。一人暮らしを始めてからなかなか会えていないけれど、元気ならそれでいいです。
そんなわけで、毎年今日この日になると、高校生の頃を思い出す。2年生の秋頃から好きだった記憶があるので、卒業までの1年半ずっと思いを寄せていたわけだ。大学に入ってからも少しだけLINEでやり取りしたことはあるけど、今はどこでどうしているかはわからない。
まあ語るほどでもないただのひと恋なのだけれど、なかなか忘れずにいる。誕生日は毎年必ず来る。思い出の品がきっかけであれば、それを捨てることで、思い出すことは減るかもしれないが、それも叶わないことだ。
川端康成の名言として有名なことばがある。
誰かに花の名を教えられたわけでもないのに、私は毎年彼女のことを思い出してしまう。最近いよいよ暖かくなり、春が近い。今日はキャンパス近くでたくさんの花を見た。いつかこの花々も誰かを思い出すよすがになるのだろうか。
(了)