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読売「住民投票権 外国人参加を安易に考えるな」という排外的社説

 読売新聞が、社説として「住民投票権 外国人参加を安易に考えるな」を出した。社説であるから、「読売新聞社」としての論考であるが、排外主義的な思考が見えかくれする。
 以下、概ね1段落ごとに区切り、客観的な分析・批判を試みる。なお、グレーの部分は、上記社説の引用である。

1. 「国益に関わる問題」は不可能

地方自治体の判断は、安全保障やエネルギー政策など国益に関わる問題に影響を及ぼすこともある。住民投票の権利を外国人に与えることを安易に考えるべきではない。

 そもそも、武蔵野市住民投票条例案は、「市の権限に属」す「市政に関する重要事項」について住民投票を認めるだけである。また、住民投票には法的拘束力がないため、市が住民投票の結果に必ずしも従うものではない。加えて、安全保障やエネルギー政策などの直接的な国政に属するものの決定権(権限)は自治体にはない。何らかの住民の意思の表明をするための住民投票が行われたとしても、例えば安全保障やエネルギー政策などについての最終的な決定権は、国にあるから「意思を表明」する以上に自治体はどうしようもない。これは後で沖縄について述べる通りである。

 憲法上の要請である「地方自治の本旨」(憲法92条)に従い、住民投票についても「住民投票の権利を外国人だから」という理由のみによって、禁止することを「安易に考えてはいけない」。

2. 市議で賛否が割れても市民は7割賛成

 東京都武蔵野市が、市議会定例会に住民投票条例案を提出した。日本人と外国人を区別せず、市内に3か月以上住んでいる18歳以上に投票権を認める内容だ。採決は21日に行われる予定だが、市議の間で賛否は割れているという。

 そもそも、市議の間で賛否がわれているといっても、「否」は自民党系の議員であり、それも長島昭久衆院議員が煽りに煽った結果である。
 百歩譲って「市議の間で賛否は割れている」としても、市民に対するアンケートにおいて7割超が「賛成」しているのであるから、「賛否が割れている」というほど「否」の割合は大きくない。

3. 実施要件の重さ・日本人と同じ3月要件

 条例が成立すると、市政の重要テーマについて、投票資格者の4分の1以上の署名があれば、投票の実施が可能になる。留学生や技能実習生といった在留資格を持つ外国人も対象になる。

 武蔵野市には、約15万の人口があり、「投票資格者の4分の1以上の署名」を集めることは、正直相当に難しい。人口に対して外国人、特に留学生や技能実習生の割合が高いわけでもなく、彼らを排除する合理的理由はない。
 また、自民党の「護る会」は、「旅行者に近いような外国人」とし、長島昭久は「その居住区域に対する帰属意識や当事者意識」がないなどと主張するが、留学生や技能実習生といっても、日本人同様、3月以上住民基本台帳に記録されている必要があり、短期滞在者などは含まれない。また、留学生などに帰属意識、当事者意識がないのであれば、日本国内で学生の間だけ別の地域に暮らしたり、あるいは頻繁に転勤する日本人にも帰属意識、当事者意識がない、ということになる。しかし、これらを理由に住民投票権が否定されることはない。
 外国人だからといって、「3ヶ月では問題」ということは、まさに差別である。

4. 外国人ではなく「住民」のため

 日本で暮らす外国人は増えている。自治体が、在住外国人の意向を行政サービスに反映させることは、当然必要である。

 そもそもこの主張に違和感がある。
 というのも、住民投票権を外国人にも認めるのは、「在住外国人の意向を行政サービスに反映させる」ためではない。住民投票制度は、そのまま言い換えれば、「住民の意向を行政サービスに反映させるため」であり、武蔵野市は自治体を構成する「住民」には当然に外国人も含まれる、というだけである。

5. 最高裁は(地方)参政権を禁止していない

 しかし、外国人に住民投票への参加資格を与えるかどうかは別の問題だ。憲法は、参政権を日本国民固有の権利と明記している。
 1995年の最高裁判決は、国政だけでなく、地方の選挙も外国人に選挙権は保障されていないと結論づけた。外国人に地方選挙権を認めることの是非を巡る議論も近年は盛り上がっていない。

 まず、1995年の最高裁判決は、外国人の「選挙の権利を保障したものとはいえないが」「憲法上禁止されているものではない」としている。したがって、そもそも最高裁は外国人の「参政権でさえ」禁止していないとしている。

6. 「参政権」と「住民投票権」は違う

 こうした中で住民投票権を付与することは、広い意味で参政権を認めることになりかねない。

 論理が何段階か飛躍しているが、(国民主権との関係で出てくる)参政権とは、「国民が自己の属する国の政治に参加する権利」(芦部,「憲法第七版」2019, 93頁)であり、国政における「狭義の参政権」(選挙権・被選挙権)と、「広義の参政権」(公務就任権)に分かれる。
 狭義の参政権について、国政では禁止説、地方では許容説が最も有力な見解であり、前述の通り最高裁もそうした立場にあるとされる(長谷部他,「憲法判例百選 Ⅰ 第7版」,2019, 9頁)。

 少なくとも、法的拘束力のない住民投票が狭義の参政権ではないことはたしかであるが、「広い意味での参政権」というのも適切ではない。また、仮に「広い意味での参政権」であるとしても、(より国民固有の権利としての性質が強まる)「狭義の参政権」でさえ地方においては、外国人に付与することは禁止されていないのであるから、住民投票権を外国人に付与することは何ら問題ない。

7. 長く日本に居住しないと混乱する?

 長く日本に居住しているわけではない人が、日本人の考え方や習慣を十分に理解せず、政治的な運動を展開したり、票を投じたりする事態につながらないか。

 これは杞憂、というより差別的である。
 まず、外国人といっても滞在期間には長短があるし、一律に「日本人の考え方や習慣を十分に理解」していないなどとするのは、あまりにも雑で差別的な主張である。そもそも日本人の考え方や習慣と政治的な事柄は必ずしも直接関係しないし、加えて、(選挙権や投票権など関係なく)政治的な運動をすることは何ら禁止されておらず、外国人が運動を展開することはまったく問題ない。
 "外国人だから"という理由をもって、「日本人の考え方や習慣を十分に理解せず」「票を投じたりする」というのはあまりに酷い。あくまで、住民投票なのであるから、"日本人として"というよりも、"住民として"票を投ずるべきであるし、その点において日本人と外国人で異なるところはない。

8. 外国人と関係ない沖縄

 沖縄県の住民投票では、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設や日米地位協定の見直しなど、国益に絡むテーマが対象となっていた。他の地域では、原子力発電所の誘致が焦点になった。

 これに関して、沖縄などでは国政と逆の住民投票の結果が出ることがあるが、まず沖縄では(日本人と同条件の)外国人投票権が認められた自治体はない。したがって、国政と地方政治が噛み合わないのは、「外国人だから」ではないのである。
 あるいは、ここに「沖縄県民」の特異性を見いだそうとするならば、沖縄差別に他ならない。

9. 法的拘束力ないからこその沖縄の現実

 投票結果に法的拘束力がないとはいえ、拙速は禁物だ。

 この「法的拘束力がない」ことは、事実として極めて重要である。例えば、沖縄などでは住民投票によって、(国政と逆の)住民の意思が表明されても、国がそれに従うことはない。辺野古埋立について、県民投票で反対が圧倒的多数になったにも関わらず、国が工事が強行的に行っているのもひとつの事実である。
 これが住民投票の限界であり、裏を返せば武蔵野市の住民投票で、何か安全保障やエネルギーなどに関わるものが行われてもその効力は極めて限定的である。

10. 市民アンケートをなぜ「飛ばす」

 武蔵野市の条例案が住民に理解されているとも思えない。市が3月と8月に開いた意見交換会への参加者は計13人にとどまった。

 意見交換会についてのそれぞれ市報で告知されており、なんら手続きに瑕疵はない。また、無作為抽出の市民2,000人に対するアンケート調査が行われ、そこでは7割超の賛成があったという事実がある。
 限られた「意識の高い人」の集まる意見交換会はそれはそれで意義があるが、市民の声を反映させるという意味においては無作為抽出のアンケートこそ重要である。
 アンケートが行われたことなどを一切書かない読売のこの社説は極めて誘導的である。

11. 永住外国人でも認めたくない読売新聞

 すでに外国人も投票できる住民投票条例を持つ自治体は全国に40を超えるという。多くは永住外国人や、自治体に3年以上在住するといった要件を設けているが、この傾向を放置して良いのか。

 読売は、永住外国人や、3年以上在住という重い要件でさえ、参政権ですらない住民投票権でさえ、認めたくないのだろうか。

12. 豊中と逗子という先例

 大阪府豊中市と神奈川県逗子市は、武蔵野市と同様に日本人と外国人を区別していない。

 反対するものについて、先例があるならば、その先例における事実から反対の根拠を裏付けるのが筋であろう。しかし、こうした先例(それぞれの市)において、「国益を損なう」住民投票が行われたという事実はなく、むしろ反対する理由がないことの裏付けになる。
 また、これらの自治体の住民投票条例が成立した際に声をあげず、なぜ読売は今、声をあげるのか甚だ疑問である。

13. 地方自治における住民自治

 武蔵野市に今なぜ、外国人の住民投票権が必要なのか。付与すれば、なぜ地域の利益につながることになるのか。市議会はよく考えて結論を出す必要がある。

 住民投票は、憲法92条の「地方自治の本旨」のひとつである「住民自治」の実現にとって重要な役割を果たす。武蔵野市においては、住民投票の存在を前提とした自治基本条例はすでに施行されている。
 外国人に住民投票権を認める、という思考自体が本来おかしいのであり、住民だから住民投票権が認められるというだけの話である。むしろ、外国人に投票権を認めないならば、「住民」であるのになぜ外国人に「住民」としないのかの合理的な理由が必要になろう。
 地方自治のことは住民で決する、という住民自治の原則に照らせば、住民投票に国籍問わず「住民」が参加できるのが正しいか否かについては、自ずと答えが出るのではなかろうか。

14. 追伸

 外国人住民の多いアメリカ・ニューヨーク市では、アメリカの市民権を有していなくても、永住権か就労許可証があり、NY市内に30日以上合法的に暮らしていれば、市長選などの投票権を認める条例が可決された。
 日本でいえば、地方参政権に当たるものである。非常に緩やかな要件であり、また、当然に法的拘束力もあるものであるから、その影響は武蔵野市住民投票条例の比ではない。
※ニューヨーク・タイムズの記事の邦語訳(原文はNew York City Gives 800,000 Noncitizens Right to Vote in Local Elections)↓

 様々な意味において「世界一の街」であるニューヨーク市が見せた「寛容さ」を、日本も見習ったらどうか。
ニューヨーク・タイムズの最後の締めはこれだ。
“We are New Yorkers like anyone else.”

「(国籍は異なっても)武蔵野市民なんだから」
そう外国人が胸を張って言える日が来ることを切に願いたい。

武蔵野市住民投票条例についての拙稿



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