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日本の離乳食作りは籠城のようなもの

5ヶ月の誕生日がきて、私は赤ちゃんに離乳食をあげはじめました。

私は本が好きなので、とりあえず離乳食の本は数冊購入。いろとりどりの手作り料理のキレイな写真は完成度が高く、モチベーションがあがると同時に多少の圧を感じさせるものでした。

区の離乳食の講座にも参加しました。とても熱心な栄養士さんから、野菜を時短で裏ごしするテクニックなどを学んだ。手作りの離乳食と、市販の離乳食の味比べをして、「いやーやっぱり自然の野菜の甘みは違いますねえ~!」なんていう、場の空気に合わせた、テンプレな感想を述べ、それはそれで楽しい時間でした。

考えたすえに、私は離乳食は一切作らないことにした。全部レトルト。お粥さえ炊かない。お粥はアイハーブで買ったアメリカのレトルトのお粥を使うことにした。みんなもってるブレンダーも持ってない。

前提として言っておくけど子供のために新鮮な食材を使って手作りの食事を用意することは、素晴らしいことであり、それを批判する気はありません。また、日本の食文化は素晴らしく、その素晴らしさを支えているのが、世の中のお母さんたちがつくる家庭料理だってことも知ってます。

でも、色とりどりの離乳食本を見て思ったのが、「お母さんたちは仕事をつくりだしているんじゃないか?」ということだった。「食材を買ってきて衛生に気をつけながら茹でてすり潰して、子供に与えて子供がゲロって拒否して暴れて泣いて終了」、という仕事をつくりだして、そこに籠城したい女性たちがいるんじゃないだろうか。お母さんという役割に籠城したい女性たち、というのがいるんじゃないだろうか、と。

子供のために、こんなにがんばっているのだから、その籠城は世間的には、正当化される。今どきは、SNSで子育てつらいといったら誰かが共感してくれたり同情してくれる。『子供のためにがんばっているから』、仕事はほどほどでいいし責任ある仕事なんて担当しなくていい。子供のために『私なりのやり方を編み出したから』他の人には出来ない。

そして、こだわるあまりに、離乳食作りを自分の仕事として聖域化してしまって、パートナーと育児を協働できなくなったりするのではないだろうか。そして長期的には、パートナーとコミュニケーションをとりたくないという口実としてはたらいてしまうのではないか。

決して、女性は甘えている、みたいなことを言いたいわけじゃないんだけど。

私が離乳食を完璧に作らない理由は、

単に合理的に考えて無駄なことで悩みたくないから。夫や祖父母にもかんたんに離乳食あげてほしいから。子供が大きくなってポテチとラーメンばっか食べるようになったときに自分の人生に虚しさを感じたくないから。大人になってからだって意外と味覚って変わるなって思ってるから。

とかかなあ、と思う。