見出し画像

壇上で伝え忘れたこと

私は不動産の中古再販事業を営む会社に入りました。
そして先日、半年に一度の決起会で販売件数を表彰していただきました。

前もって何を壇上から話そうか考えていましたが、今思えば、もっともっと真剣に考えつくしてスピーチの練習もしておけばよかったと思います。


そう、緊張して頭真っ白でした。
(何話したか覚えていない)


表彰式から2日たってもなお悶々が収まらずどうにかなってしまいそうで久しぶりにnote執筆に至りました。

そうなった背景を、
伝えたかったことを、
悶々を殴りつけるように文字に起こします。

ーーーーーーーーーー

そもそも私は脳の無意識な癖付けにとにかく興味がある。
何気なく過ごしているだけでも、気がつけば一定の考え方や行動を取るようになる。

例えば、ご飯を食べるときに「いただきます」を必ず言わないと「コラッ!」って指摘される家庭で育った人は、友達とのランチでも「いただきます」と言う。
でも、いつしか一人暮らしをはじめ、「コラッ」と指摘する親もいない1人だけのご飯の時に、「いただきます」を言わなくなっていく。そして、「言わないという事実」を積み重ねた結果、友達とのランチでも無意識に「いただきます」を言わない。言わないのではなく、「言えない」のではないだろうか?
きっと、友達が言えば、自分も言う。
けれど、友達が言わなければ気づきもしない。

単に「いただきます」を言わないことを指摘する親でなく、「食材、作って下さった人への敬意を払わないこと」を指摘する親なら、また違った話になってくるけど、割愛。

そんな無意識の癖付けをしているのが、ルール・枠組みだと思う。

そう、無意識は操作可能だ。
そして、それはとても美しく、とても怖い。

無意識を意図的にデザインしているのが組織における評価だと思う。
大学のゼミで、その曖昧さと納得感に触れ、ひたすら興奮し、悶々し、じゃあ体験しようって就職したことを思い出した。

そしてなんだかんだあり、就職し、配属されたとき、先輩方に質問をした。

「この仕事を続けて、何が見えなくなりましたか?」

単純に興味があったから聞いたわけではなく、怖かったから聞いた。

自分でも気付かないうちに無意識に何かが失われるのが怖かった。

だからこそ、最初に知っておいて対策したかったし、自分なりの仮説を検証したかった。

結局、自分がその時に出した対処法は「多重人格になる」だった。
そうすれば無意識は操作されないし、意図的にコロコロ切り替えられたら「幅」になるからだ。

ここでやっと本題に戻り、
壇上で伝え忘れたことの話になる。

伝え忘れたことは、
「この半年で見えなくなったこと」
正確には「意識しないと気づきにくくなっていたこと」だ。

全社員が集まり、壇上の私のスピーチに耳を傾けてくださる超貴重な機会に伝えるべきは、各関係者への感謝だけでは勿体なさすぎる。


以下、今ならこう話す全文。


ご紹介いただきました。中村拓馬です。
はじめに、こうした賞をいただき嬉しく思います。この賞は、自分で獲ったというよりも、獲らせていただいた賞だと思います。
ぺーぺーの私は、とにかく沢山の方に支えていただきました。分かりやすいところで言うとチームの方々、忘れては絶対にならないのが間接部署の方々、そしてお客様です。本当にありがとうございます。

(一拍)

私はこの半年で家を売る行為を何度も繰り返しました。お客様にとっては一度きりの決断です。
私は数字を積み重ねました。お客様にとっては一度きりの決断です。

この半年で成約したお客様のうち、大半が中古再販だからこそ、予算内で希望の広さ以上を取得できた方でした。

(一拍)

子供が増え、成長につれてアパートから大きな家に引っ越したい。
賃貸もいいけど、持ち家なら気兼ねなく柱に子供の身長を毎年刻んでいける。もしもの時は、資産として子供に残せる。けれど、現実はシビアにお金が関わってくる。

そうしたお客様にとって中古再販が「選択肢」に入ることが価値であり、
「あったらいいな」ではなく、「あって良かった」サービスを提供することが価値だと思います。

私自身、数字を重ねるたびに、こうした意識が薄くなっている気がします。薄くなっていることにすら気付けなくなるのが怖いです。
ずっと怖いって思いながら働いていきたいです。

中村拓馬はいつもビックビクしているはずですので、なんか調子乗っているなと感じたらビシバシ叱ってください。宜しくお願い致します。

長くなってしまいましたが、以上です。
ありがとうございました!

(笑顔)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?