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自分が一番自分らしかった頃に戻る方法

 はじめに

この記事のターゲットは自分。きっと君はこの題名にすがるように釣られてしまう。先に言っておくと、この記事は長い。ターゲットが自分だから、仕事で書いている記事みたいに論点整理したり無駄文を省いたり、流れを読みやすくしたりなんていう「書く・読ませるスキル」は使わない。


さて

日々、柔らかい布で首を絞められるように、ジワジワと、確実に、自分では気づけもしないまま詰まらない存在になっているでしょう。そうなることを恐れているでしょう。安心してほしい。元から君はそこまで突出した存在ではない。ただ、スイッチが入ったときの五感が研ぎ澄まされる感覚と、目的論で全てを決めて突き進んでいた君は今の僕から見て魅力的だった。脳の癖をフルスロットルで使っていた。

何をもって「らしい」と定義するのかによるけど、「こうありたい」状態を「自分らしい」と勝手に定義してしまって、理想を追いかければいい。

今、どこでどんな仕事をしているの分からないけど、君には映像で記憶をフラッシュバックできる機能が備わり続けているはず。幼少期に寝れなくてあれだけ悩んでた制御できない脳も今は大人しいもんでしょう。ただ、思い出すキッカケが無くなっていくだけ。思い出そうという発想が削がれていくだけ。この先天的な機能は絶対に失ってほしくない。その前提の元で、思い出すキッカケを提供する。一時的でもドーピングできるはず。


じゃあ本題に入る。

君が一番自分らしかったのは、紛れもなく『中学の卓球部』。当時の感覚をフラッシュバックすればいい。フラッシュバックに色が・匂いが・温度が・音が・味がするまでフラッシュバックすればいい。記憶が五感を支配すれば、それはもう現実になる。今が何歳だろうと君は一時的に中学卓球部の精神状態に戻れる。なぜか大学以降、就活()でも自己分析()でもこのときの記憶は抜けていた。周囲に合わせようとして記憶抑制していた説。

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中1:ただ目の前の1勝が欲しかっただけ。守破離の守。

君は小学生の頃、周囲と仲良くなりたくて始めたバスケに熱中して練習しすぎた結果、両膝を壊した。そして、中学からは自分がもともと好きな卓球部に入った。地区でも弱小~中堅クラスの卓球部で指導者がいない環境。

今思えば、どう考えても好きな競技を選んだ方が良い。仲良くしようとしても当時のコミュ力(というか社会性の欠如)では無理だ。求められた競技ではなく、自分がやりたい競技を選んだのは素晴らしい選択。今、やりたいことをやってる?

中学卓球は9割が素人から始めるから、練習時間と上手さが正比例するのはすぐ気づいた。とにかく自分なりに数か月練習した。そして中1の夏、始めた出た大会が全学年が参加する200人規模での地区大会。そこでベスト16になれたのは練習量。でも本気で優勝を狙っていたから悔しかった。そして初めてこのとき、他中学にどんな選手がいるかを知った。今、どんなライバルがいるか分かってる?

何で勝てないのか考えたとき、自分は基本を知らないまま練習だけしていたと気づいた。完全に井の中の蛙だった。

それから学校と市の図書館にある卓球の本を片っ端から全て読んで、ネットで卓球のサイトや動画を見漁って、教科書通りのフォームを鏡を見ながら真似するのを日課にした。人間の心理や骨格や筋肉に関する本も読み漁った。このとき卓球にはある程度プレースタイルの「型」があることを知った。福原愛ちゃんでお馴染みの前陣速攻型、癖が強いカットマン型など。そこで君は全部の型を一通り身に着けた。その理由は「しっくりくるのがどれか試すため」じゃなく、「型には相性があるから、相手に合わせて自分を変化させれば勝ちやすくなるから」って発想。今、アウトプットのために鬼インプットして、そこから目的に沿った選択してる?

当然、自分の学校の選手、試合会場で他の選手のプレーを見てはお手製のチャートに当てはめてノートにガリガリと分析しまくった。どの位置からどの球種がどのスピードでどれくらいミスなく打てるのか、どんな気性なのか、どんな体の癖があるのか、etc…。自分の現状も分析して数値化しては、練習メニューを考えて実行していた。自分の次の試合相手の試合はMTGそっちのけで何が何でも見に行ったし、自分が勝つシミュレーションが脳内で出来るまで妄想しまくった。授業中もノートに書いた卓球台の上にボールの軌道線を書きまくっていたことを覚えているかな?今、脳内シミュレーションで勝つまで妄想しきれてる?

ゴールは常に目の前の1勝。

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2年:明確な目標が出来た。守破離の破。

中学卓球は練習量ともう1つ、体格が出来始める時期特有の運動神経(体格や筋肉量・瞬発力)がモノを言うと気づいた。

自分は背も低く、腕も脚も短いから卓球に置いて重要なリーチが短い。しかも両膝が壊れているから俊敏に動けない。でもそんなことを理由に負けたくない。ただ、点を落とすときの理由はどう客観的に見てもリーチだった。あと1㎝が届かない。あと1歩に膝がついていかない。自分のキャパに気付いた。今、自分のキャパに気付けてる?

そんな悩みを抱えたまま夏の地区大会に出てベスト4止まり。優勝したのは同じ中学の先輩だった。ウチの中学って環境でも優勝はできると確信したし、できていないのが悔しすぎた。この瞬間から、目標は打倒先輩&地区優勝と心に決めた。

今思えば、もっと上にゴール設定すればよかったのかもしれないけど、常に目標が目に入る状況を産んだのは王道成功パターンの始まりだった。今は明確な目標を持ってる?


<勝つためにやったこと>

まず先輩は体格も良く、運動神経も良い。この時期の一年の体の成長差は大きなハンデで、ラリーになったら勝ちにくくなるのは見えてた。活路は2つあったから、ひたすら実行した。このときの思考は「勝つ」という目標に対して、方法論を極論で発想して、できるできないは無視してた。今、極論を実行できてる?


①フォームをノールック・ノーモーションにする

卓球は2~3mの距離でスピード100㎞の球を打ち合う競技だから、反応が0.1秒でも遅れると致命傷になる。正直球を見てから動くと間に合わないから、相手の体・ラケットの向きや目線である程度先読みしてアタリをつけてプレーしている。ということは、目線をブラフで違う方向を向いたまま、腕全体を使わないようバックスイングを無くして手首だけで打てば、相手は先読みしにくい。ラケットから球が離れるのを見てからしか反応できない。

それは今まで身に着けた綺麗なフォームを壊すことを意味していたけど、そこに何の躊躇もなかった。反応を遅らせてもショボい球なら意味がないから、強い打球を強い回転をかけながら瞬間的に打つにはそれなりの筋力がいる。バックスイング無しで手首だけでそれをやるのは体に大きな負担になるのも分かってきたし、筋トレがどれくらい必要かも分かっていたけど、同じく躊躇なかった。ノールックが成立するのは量を追った先と見えていたから、練習量を増やすために親に無理を言って自宅に卓球台を設置して夜な夜なノールックで狙ったところに打つ練習をした。今、目標達成する環境を作り出すため、周囲に働きかけてる?(ちゃんと相手にとってメリットある提案ができればいいけど、要は気圧すような熱意をぶつけられるかどうか。)


②サーブで終わらせる

卓球は2球ずつサーブのターンが回ってくる。極論、自分のサーブを相手が一切返せなければ、相手がサーブを1度でもミスるか、相手のサーブから始まるラリーを1回でも制することが出来れば勝てる。つまり、相手が返せないサーブに力を入れることが一番練習対効果が高い。中学卓球は1人あたり平均5種類のサーブを使い分けると計600選手を観察して分かっていたから、自分は見たことあるサーブを全部(35種類)習得して、その中で自分が得意かつ相手が苦手なものの精度を伸ばすことにした。これは相手を必要としない練習なので、当然家でもアホほど練習した。今、対効果が一番高い打ち手が何か見極めて、そこに労力投下してる?


上記2つを徹底してやりつつ、客観的に数字で達成度を進捗確認して、先輩が引退する前にはモノにした。今、自分の実力を定量モニタリングできてる?期日を決めてる?

そして、非公式ではあるものの、学内での真剣試合で先輩に勝って団体戦レギュラーになった。

団体戦は地区準優勝して、県大会に出た。でも、県大会は一回戦敗退。自分は勝ったけど、他が負けての敗退・先輩は引退。なんだこれ。1人だけ強くても団体戦では勝てない。悔しい。このとき、主体の範囲が「個」から「チーム」に変わった。今、主体の範囲はどれくらい?自分単体?チーム?全社?日本?地球?宇宙?

この頃には卓球がめちゃくちゃ好きだった。周囲がダサい、モテないと言おうが好きで好きで仕方なかった。今、自分がやっていることが好きで仕方ない?

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3年:自分が消えることが前提になった。守破離の離。

志願して卓球部の部長になった。色々変えやすいから志願した。指導者がいないから自分が監督兼コーチ。このとき立てた目標は「地区大会で個人優勝・団体初優勝」。そして、先輩が引退したことがキッカケで自分も引退を意識するようになった。この「消える思想」は今も持ってるよね?

この頃には自分が地区で有名になってきて、学校名も無名だったのに知られるようになってきた。「〇〇中学と言えば、強いとこ」というブランドになりつつあったけど、自分が引退したあとにまた弱小になったら嫌だったから、自分が指導できる範囲は3学年、つまり地区団体戦3連覇は自分の手で創れるという発想になった。今思えば、もっと長く10連覇とかにすれば良かったな。

3連覇のためにやったことは3つ

①顧問の交代

1.2年のときは幽霊顧問だったけど、3年から新顧問に変わり、卓球素人なまま練習方法や活動方針をトップダウンかましてきた。一通り新顧問の話を聞いても三連覇できるチームになれるイメージが湧かなかった。部員も同じ反応だったし、顧問が嫌で辞めようと相談してくる人も出てきた。自分から新顧問に方針変更を提案しても聞いてくれなかった(おそらく当時の自分の提案力がショボすぎた)。このままでは部員も気持ちよくないし、三連覇もできないと悟ったから、前例を聞いたことがないだけで顧問を変えることが可能じゃないかと発想して実行に移した。

このとき、教育委員会や大義名分、先生内の派閥・ルールといったシステムがあることを知った。システムやルールを一通り把握して、抜け道を見つけた。結局、交代は無理だったけど、「新顧問は一切口出ししてこないものとする」と校長の言質を取った着地になった。今思えば、これ1人でやったのバカ。大人の圧を初めて感じて怖かったけど、使命感みたいなものだけで動いていた。今なら政治力を使えるよね?今、全体のシステムを把握して、それを踏まえてどう戦うか考えて仲間を集めて実行できてる?


②「勝つ>上手い」の追求

勝たないと面白くない。それは部員も同じ想いで、「勝つ」ための練習をしていくことに了承してもらえた。卓球の練習と言えば、綺麗なフォームを身に着けるための素振り・ミスしないで相手の返しやすい場所に返す100回ラリーが多い。いわゆる「クセ」を矯正して、「キレイ」なプレーが出来る「上手い」選手を量産するもの。これに違和感しかなかったから、最低限基本ができるレベルまではやるけど、最低限の数値クリアした選手はこれらの基礎練習を廃止にした。今、目的からズレてることを切り捨ててる?惰性で続けてない?

代わりに、「クセ」を伸ばして「汚い」プレーが出来る練習方法に時間を割くようにした。ラリーが続くなんてのは体力の消耗&自分のデータを相手に多く与える作業でしかないから、できるだけ少ないラリー数で点を獲る練習方法を考えて実行した。クセに関しては自分が部員1人1人を分析して、得意&性格・体格に合ってるプレーを見極めて、それをどうやったら伸ばせるかのメニューを一緒に模索して決めていった。他中学選手からどれだけ「やりにくい」と言われるかをプチ目標に置いた。やりにくい選手だらけのチームになったから、普段の練習相手よりクセが強い選手に当たらない限りは焦ることもないし、各選手が個人戦でもだんだん勝てるようになってきた。今、組織が勝手に強くなっていくエコシステムを作れてる?


③後継者の早期育成

自分は秋には引退してしまう。自分が練習ルールとか個人戦術指導とか全部やっているから、抜けたらヤバいと思っていた。そこで、春の段階から誰を後継にすれば今の状態を継続・より良くしていけるかを考えながら後輩に接していた。練習メニュー・個人戦術の考え方や決め方はノートに全部まとめたから、それを考えられる脳を持った人を探す必要はない。このとき初めて「人を採用・抜擢する」という経験をしたんだけど、おそらく今も見極めるポイントは変わっていないはず。結局一番「想いが強い人」が適任。極度の負けず嫌いだったり、チームに愛着がある人に任せたかった。だって想いがあれば不器用でも周囲に頼って方法論はどうにか補完できるから。自分から「部長になりたいです」って言ってくる人が出てくるように接して、各学年から5月までに1名ずつ出てきたから、部長のイロハを教えてた。今、想いが強い後継がいる?後継したいって言われるような存在になれてる?


一方、自分はオーバーワークと無理なフォームを続けていたせいで両膝・右手首・右肘・右肩がボロボロになっていたから、もうラリーになったら体がついていかなくなっていた。だから99%返されないサーブ=卓球台の角に当てるサーブの練習ばかりしていた。正直めちゃくちゃ集中力がいるけど、体への負担は少ないから、この道しかなかった。結果、試合でもサーブを角に当てまくっていたら「フェアプレー精神に欠ける」という審判団の抗議を受けるハメになったのは今でも意味が分からない。相手にとって試合のやりがいがあるようにわざとぬるいラリーをしろってことなら、それこそフェアプレー精神に欠ける。今、自分の制約を把握した上で全力でプレーヤーとして臨んでいるか?批判されても真向から言い返せるくらい信念を持っているか?

上記3つをやった結果、自分は地区個人優勝して、地区団体戦は自分の代から三連覇した。それ以降は特に興味がなくてどうなったのかも知らない。

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NLP、マインドフルネス、何でもいいから妄想・瞑想しろ

ここまでの事実ベースの過去を文章で見て、五感が支配されるまで記憶想起してほしい。どんな胡散臭い方法でもいいから、一回でもトリップできるくらい集中して妄想できれば勝ち。30分くらいは時間が飛んでるはず。

それで、自分の脳は本来どういうものだったのか、どこまで出来るのかに気付けるはず。過去厨でも何でもいいから、この方法が2018.5.12で思いつく限りの最善。もしかしたら過去厨は最もやっちゃいけない方法なのかもしれないけど、せっかく思いついたから残しておく。

どうかこの記事を読んで、トリップして、少しでも自分らしく「生きている」状態になれますように。







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