家族のために…落ちたぁぁ( ; ; )
中3の冬、希望校を決めるための一斉テストが行われた。希望する高校の内申点は30点。成績表に30点は到達できないと受験は難しい。というか、校内選考で落とされてしまう。その指標値を決めるのがこのテストであった。
当時は、ひと学年に450人ほどの生徒がいて、そもそもこの点数を取ったとしてもそれ以上の内申点を獲得している人数が多ければ受験はできない。
私はそこから大きく下回り、それでも先生に「志望校に行きたいです‼️」と泣きついた( ; ; )
そこで、一か八か推薦枠で勝負してみようという事になり、資料を作成したり、裏で先生が必死に頑張ってくれた。
が、結果は残念ながら不合格だった。
現実は厳しい。
人生初の挫折を味わった。
学校を3日間サボったのは、ラッキーとの別れ以来だった。担任の先生は何度も電話をかけてくれたけれど一度も出ず、ただ泣きまくっていた。
希望校へ行けないというショックともう一つ。
「希望の高校へ入学したら家族みんなで北海道旅行に連れて行くぞ」
という父との約束が果たせなくなったからだ。
我が家は県営住宅に住み、中の下、の下ほどの生活を送っていたので、飛行機に乗って旅行など夢か‼︎くらいの冗談みたいな話だった。
それに小さい頃から祖父がいたので、経済的にも物理的にも家族だけで泊まりの旅行は一度もした事がなかった。
自由でお人好しな父と感情剥き出しで攻撃的な母。父にそっくりな兄と私。毎日みんな好きな事を好きなだけ話して夕飯時には賑やかな我が家。私はそんな我が家が、家族が、大好きで居心地が良かった。
だからこそ、この受験に掛けていた。
\北海道旅行/
私はどうしてもこの家族で旅行がしたかったのだ。
それに一生に一度でいいからと神様に何度もお願いした。
もうこのショックは計り知れない。
推薦がダメだった事を父は何も言わなかった。
私が朝起きて、ご飯食べて、学校行って、笑って話を始めるまで何にも言わなかった。
慰めもない。ただ普通に接してくれたことが良かったのか、私は4日目に完全に吹っ切れて、併願予定の私立高校のみ受験する事を決めた。
「私はここで一番取ってみせる!」
と大口をたたき、父はにっこり笑うのであった。
母はというと、なんと言ってもステイタス重視の人。賢い兄と比較し、
「まあ、私の遺伝子引いてるからね。勉強できなくても無事に大人になれるように頑張れば良し」
みたいな、自らを納得させるような、ホッとしたような、母としては気を利かせてくれたんだと思って感謝している。
予告したとおり、高校では腐らず真面目にお勉強頑張りました(^^)
つづく
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