「最後の膿」魂の親はどこ?!
「親」に関する「トラウマ」が この期に及んで、浮上してきた。
小さいときの「傷ついた自分」 まだいました。
「親」って「こうあるもんでしょう」という「もって生まれた概念」に、自分の親が「相違」している現実。
どうして、理想の親を求めるのだろう?
どうして、理想の親ではないのだろう?
自分の親は、本当に素晴らしいし、尊敬できる「信頼できる人」なんです!!
って思いたい気持ちが、消し去ることができない。
「未熟な親」への「落胆」と「いらだち」と「葛藤」
いまは、大好きだし、仲良くしているのに さびしい気持ちになる。大きなものをもとめすぎなのか?
ぽかんと穴が開いたようになっている。どうでもいいようで、どうでもよくない。
それはすべての大人に感じてきたことににている。
「大人なふり」をして、もっともらしい言葉を並べているのに、そこに「愛が感じられない」偽善者の大人たち。
こどもはわかっている
こどもはガッカリしている
こどもはさがしている「本当の親」を!
それは「学校の先生」にも 思ったこととおなじ。
力の強い者に従わせる「ロボット」を生成するため「教育」
ルールや規則を守らせるための「鉄格子」
そこに「愛は無い」。ただお金のためにやっている。子どもたちのためにやっていない。
でも、今回「発光体」を撮影できて、おもったことがある!それは「魂の親が別の場所にいる」ということだ。
きっと、シャンバラや他の惑星では、「親」になれる者は「最高レベルに達したもの」だとおもう。不老不死であるなら、子はいらないだろうから。
その不老不死から「脱退」を決めた、さらに上を目指すものが、さいごに産み落とすのだとおもう。
自分のすべてを「教え」ながら。
だから、ライトワーカーは「未熟な親」や「理不尽な教師」や「偽善的な大人」を「こんなの尊敬できない」と!!絶対言うことを聞けないのだとおもう。
でも、もう大丈夫。最後の膿は「完治」しそうです。
わたしを生んでくれた「魂の親」は、物質的には存在していないけれど、いつでもどこでもわたしの周りにいてくれて、そばにいてくれることを知ったから。
その存在は「不老不死」を超えていて、粒子となって「そばにいてくれている」。
それは、わたしでもある。
わたしの尊敬して信頼できる「本当の親」は、わたしの中で生きている。
だから、私は「尊敬できる」「信頼できる」
すべてのものの「親になりたい」
そしていつか、みんなが安心して暮らせる「星」をつくりたい。