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劇場版シティーハンター 天使の涙 エンジェルダスト

劇場版シティーハンター2作目。私はシティーハンターのファンで劇場版1作目プライベートアイズは地元の映画館、聖地新宿TOHOシネマ、最後までやってくれたイオンシネマみなとみらい、秋葉原のドリパス、途中で火事警報で中断したお台場ユナイテッドシネマ、スペシャル上映の柏キネマ旬報や尼崎の塚口サンサン劇場など計30回上は見に行った。

1作目はシティーハンターが帰ってきたよ!と界隈では盛り上がりまくり、期待も膨れ上がった第2作。いきなり重いの来た。なんせThe final chapter begins.の煽り文句。ファイナルチャプターと言えば原作読んでれば、海原神との闘いだと予想はつく。ポスターにも予告にも海原出て来たし。

しかし今作、海原はまだ後ろに控えている。本当にファイナルチャプター「ビギンズ」。始まったばかりなのだ。ラスボスはまだ様子を見ているだけなのである。なのにここまで重いのか、こんなに救いがないのか。最後のゲワイでこんな気持ちになったのは、エンジェル・ハートを初読した時ぶりくらいだ。

前半のギャク詰め込みも別に良い。昭和の作品を無理やり令和に合わせる必要もない。後半に向けてアクションシーンが増して盛り上がってくるのは前作も一緒。音楽も流れも良かった。クライマックスに至るまでは。

〈ここからネタバレ〉

海原がエンジェルダストを撃ったとき、なぜ獠は気づかなかったのか。獠なら絶対に気づく。気づかなければいけないシーンだった。アンジーにエンジェルダストが打ち込まれてしまうにしろ、ノーガードで撃たれるのはあり得ない。撃たれないと話が進まないとか、大人の事情はいいんだよ。いつもの獠なら絶対に気づく!じゃあ!なぜ!これに対する自分を納得させる考察が全く浮かんでこない。

アンジーを最終的に殺してしまう事も、シティーハンターとしては今までには無い展開だった。結果として死んでしまった女性なら過去にもあるが、女性は殺さない事をポリシーとしていた獠が自ら手を降した事は、私だけじゃなくて視聴者にとっては衝撃だったのではないだろうか。同胞のショックが分かりまくる。

どうにかならなかったんだろうか。獠がスケベの先輩の教授に救われて助かったように、助かる術はなかったんだろうか。なぜ香は「助けてあげて」と叫んだのか。

獠は過去にエンジェルダストを打たれている。
アンジーと同じようにエンジェルダストに支配された自分と元の自分との葛藤を経験し、尚かつその死の淵から立ち直った経験を持つ獠自身が、まだ希望はあると判断出来なかったのはなぜか。女性だから?獠よりも弱い存在だから?アンジーが死にたいと望んだから?苦しさが分かるから楽にしてあげたいと思った?香が言ったから?このままアンジーと闘っていると獠の中のエンジェルダストが暴走しかねないから?どれもこれも腑に落ちない。切ないだけの気持ちが残った。エンディングをハッピーな気持ちで迎えられなかった。

でも一つ思うのは、こんなことは恐らく制作陣も分かっているのだ。分かった上でこう作ったのだ。つまりワザとやっている。その理由は必ずあるはず。それが次回作で明らかになるのか…。(間違いなく次回作はあると思う)そうであることを願う。そして次は切なくもハッピーな獠と香を見せてほしい。

ストーリー以外の部分では、本編のあちこちに大人の事情やネタと思われるものがちりばめられていたが、シティーハンターには不必要だと思う。大人の事情はあると思うよ。断れる人はいないのか?見てる側としては萎えちゃうよね。ネタも入れなくていい。銀魂じゃないんだよ。銀魂好きだけども、シティーハンターにはキャッツアイだけで良い。

エスパーダとピラルクは結局の所いなくても何とかなったんじゃないか。もったいない感じ。ピラルクはアンジーの事好きそうだったし、そこらへんをもうちょっと掘り下げれば良かったんじゃねって勝手に思っている。きっと現実逃避したいんだな、私の心が。

まあ、次回作は絶対に見たいので、応援の為にあと10回位は見に行こうと思っている。このままじゃ納得が…。シティーハンターは希望の物語なんだ。希望を見せてくれ。



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