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ちゃんとの罠

ちゃんとして。
ちゃんと片付けなさい。
ちゃんとこれやっておいてよ。
ちゃんとチェックしといて。
ちゃんと考えてみて。

子どもの時だけじゃなく
大人になってからも言われたり言ったりしている言葉。

「ちゃんと」という言葉は、しっかりと定義があるようでいて、それぞれの価値観が影響しているようにも感じています。

例えば、
ちゃんとチェックしておいてね!と伝えても
チェック漏れがあって落胆したり、

ちゃんと片付けてね!と何度言っても
服がリビングに残っていて鬼の形相になる。(我が家の日常)

でも、本人達は至って「ちゃんと」しているつもりだったりする。

一度、長男に聞いたことがあります。
ちゃんと片付けるってどのくらいの片付けだと思ってる?と。

答えは、
え?これがちゃんとやけど?

・・・

その時の状態は、私にとってはとてもじゃないけどちゃんとではない状態。

自分と他者との価値観はそれぞれで、違って当たり前と腹落ちしている今だから、
やっぱり・・・
で済むけれど、
どうしてわかってくれないんだと長い間イライラしたものです。
もちろん今もイライラはしますが、相手にぶちまけるような怒りはありません。
そのくらいのイライラは人間だもの。生きていたらあると思っているので、自分責めもしなくなりました。


さて、この「ちゃんと」
定義では、

①少しも乱れがなく、よく整っているさま。「部屋の中を―かたづける」「いつも―した身なりをしている」
②確実で間違いのないさま。「言われたことは―やる」「―した職業につく」
③結果が十分であるさま。「朝食は―食べてくる」
④すばやく動作をするさま。さっと。
デジタル大辞泉

とあって、例文も正に日常によく交わされる一コマ。

でも、この例文一つをとっても、ちゃんとした身なりやちゃんとした職業も、皆が同じ共通認識かと考えたらなかなかに怪しいと思います。

それぞれの価値観や判断のものさしが違った状態で、お互いの認知がねじれたまんま進んでいくものだから、期待している結果にならなくて当然。

ねじれを正すには「ちゃんと〇〇して。」の前後のコミュニケーションをどのくらい丁寧にしているか。
通じ合うからコミュニケーションなのに、親子関係だったり、会社の上下関係になると、途端に前後を端折り、「ちゃんと」に集約されてしまう。


ちなみによく聞くのが、
「うちの子はまだ小さいから話しても分からないので・・・」

子どもってそんなにバカじゃない。
親のこと、よく見てるし、教えれば理解もします。
ただ、それを言葉にしたり行動するにはハードルが高すぎたり、自分の心に素直なだけ。
だからこそ、この前後のコミュニケーションはとても大切だと感じています。


とは言え、わたしは「ちゃんと」を手放しました。
自分も相手も苦しめる使い方しか出来なかったから。
具体的に話した方が楽なんだもん。

自分と相手の認識のねじれがなくなったら、そこはとっても心地の良い世界かもしれません。


ところで、ケーキは、ちゃんとした朝食になる???ならない???
さぁ、どっち?

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なかもとかおる
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