痛みを知らなければ、平穏は望めない(親知らずの話②)
便(たよ)りがないのは良い便り
平穏無事なうちは、平穏無事であることのありがたみを感じにくい。
と、まぁ、頭でここまで分かっているけれど、やはりどこか、お座なりにしてしまう。
私、親知らずを抜きまして。
「わかっていた」ハズの想定よりも、現実はめちゃくちゃ不便だなぁと感じている訳です。
左が痛いなら右で食えばいいやーなんて、甘かった。左頬が腫れすぎて、上の歯と下の歯がくっつかないじゃないか。そうなると右で噛む=左頬を噛むになるので、そもそも何も噛めない。歯を合わせずに喋ると、はひふへほ以外の発声ってしんどいんだな…
噛めないなら、とゼリーを飲もうとすると、実はゼリーも充分に固形物だったのだと気づく。ってゆーかツバを飲むだけでも首の筋が痛む。
客観的に見ればたかだか1週間の我慢なのだろうが、いざなってみるとそう冷静にもなれない。ツバって、1時間に何回飲みたくなるだろう?昨日までは楽観的だった「当然治る」というイメージが湧かなくなった。
父が生前、ご飯を食べるのがツラいと言っていた意味をようやく、少し、感じることができた。今や雑炊なんて硬すぎて食う気になれない。しかも、脳の記憶は呑気なもので、食べたい気持ちだけは込み上げてくる。
(焼肉を食べたい)
いや、あんなのゴムだろ。
(でも旨いよ?)
いや、そんなの知ってるわ!
脳くんがうるさいので、いっそ寝てやろう。
…痛くて眠れない。
せっかく時間があるなら、記事を書こう。
…気になって頭が回らない。
この身体の、なにかひとつでも壊れると
なにも出来なくなるんだな。
普段は楽しいことも、楽しくない。
戦争がなければ、平和を望めない
大切さを知らなければ、大切にできない
当たり前のことが
大切だという
当たり前のこと
どんなに言い聞かせても
僕達はまた、忘れてしまう
心構えだけではダメだ
幸せは、貯金できないから
来週、また平穏な日々を過ごせたら
何かが痛むその日まで、また忘れてしまう。
ばかばかしいけれど、それが営みで
そういうことの繰り返しなんだと思う。
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