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硝子の瞳から感じる生
先日
マリアの心臓が東京やってきたので
王国のマリア
行ってきました。
天野可淡のドールに出会ったのはきっと幼稚園生の時。母の持っていた2冊の写真集でした。
ただ心を奪われたことを覚えています。
色んなものに出会って色々な趣味ができてカタンドールとは少し遠のいてしまっていたここ数年。
実家に7月に帰ってきてこの間写真集をまた開いて再び心を奪われました。そんな時に東京にカタンドールが東京に来るとの情報。普段は京都なので行けなかったマリアの心臓。
これはきっと縁だと思って親にお金を借りて群馬から東京にカタンドールを見るためだけに向かいました。
初めて生で見るカタンドール。
やっぱり美しくて儚くてもの寂しくて、天野可淡のドールに釘付けでした。思わず目に涙が浮かびました。
携帯のメモに一体一体の見た目や感じたことをメモしていきました。
1番好きだったのは2階の3部屋目の水色のリボンの少女。カタンドールらしい目とツンと尖った鼻と上唇。茶色の髪と硝子の瞳が日光に照らされてなんとも儚い。少し寂しく優しい顔をした少女。今にもどこかへ行ってしまいそうな、トコトコと光に向かって歩いて行ってしまいそうな息づかいを感じました。生きている。そう思いました。
人形屋佐吉さんとも初めてお話ができ、貴重なお写真を見せて頂いたりたくさんお話聞かせて下さったり、おもてなしして下さったり嬉しさでいっぱいでした。
水色のリボンの少女が1番好きだと話すと「いい目を持ってるね、いちばんかわいい子がそこに並んでるんだよ、可愛い子はね性格もいいんだ」と話してくださいました。褒められた気分で嬉しかった。
天野可淡の命日は11/1。もう亡くなってしまったけれど、たくさんのドールや作品として、彼女はこの世でずっと愛され人の心に生きているのだと思いました。
カタンドールのよさを言葉にするのは本当に難しいのですが、ただ“綺麗なお人形”ではない、なにか心に迫るものを感じる作品ばかりなのです。あの硝子の瞳たちに何を写してきたんだろう。天野可淡の人生を、心奪われる人の目を、なにも感じ得ない人の目さえも彼ら人形は見てきたのでしょう。
目線を合わせると人形たちが語りかけてくる。この世の悲しみを、無情さを、儚さを、優しさを。きっとカタンドールは知っている。
天野可淡に出逢えたことはきっと偶然じゃない。
私の心をこんなにも揺さぶって琴線にふれるドールという芸術作品はカタンドール以外ないと思います。
彼らと向かい合う時、彼らから全てを受け止めようと心の波を静かにする、そして心からの愛情を向ける。
なんだか自分の病とか小さな心のささくれとかそんなものを硝子の瞳が吸い込んで、ひと時の静寂とたくさんの天野可淡の思いの断片を与えてくれるような、そんな時間を過ごしました。
ただ心から幸せでした。
‘’天野可淡”でぜひ検索してみてください。
ひと目でいいから彼女のドールを見てみて欲しいのです。
今月、復職したなけなしのお給料で笑
初めて京都のマリアの心臓へ。
またカタンドールに会いにゆきます。
彼女と彼らへの愛情を伝えに、そして彼らから沢山のものを受け取りに。そして心の波を穏やかにしてきます。
東京でカタンドールの展示をしてくださったことに心からの感謝を。
天野可淡との出会いに心からの感謝を。
愛する天野可淡の世界がもっとたくさんの人に広がりますように。
そして私の人生の中でチャンスがある限り、カタンドールとお話がたくさん出来ますように。
オマケ…モノトーンでオシャレして行きました🥀