私の不育症歴④ 原因不明不育症 5回目の妊娠(2)
2015年の6月に正式に『原因不明不育症』と診断され、死産から1年後の2016年3月に妊娠しました。
5回目の妊娠で、アスピリンを飲んだものの、11週で4回目の悲しい結果となった記録(2)です。(1)の妊娠~流産確定まではこちらです。
もう何回も繰り返してきたことから、実はこの流産手術の記憶がほとんどありません。
流産手術自体の話ではなく、胎児染色体検査のこと、赤ちゃんへの気持ちを記録します。
1.胎児染色体検査ができない?
11週という週数。
原因不明不育症という状況。
杉ウィメンズクリニックの杉先生へにすぐメールで報告をし、必要な検査を確認しました。
「流産したら絨毛染色体検査(胎児染色体検査)と胎盤病理検査はした方がよい」とお返事をいただいたので、入院の際、それを大学病院へ伝えると、「週末に差し掛かるから検査が休みの為、できないかもしれない」と。
え?どういうこと?
こんな原因不明不育症患者で、胎児染色体検査は必須ではないの?
そう思ったのが正直なところでした。
『原因不明の不育症』であることは、カルテに記載されているはずです。
不育症治療は「なぜ流産になったのか?」という検査をし、原因を追究することが、何より重要になってきます。
これは不育症をあまり知らない先生でも、大学病院(一応、不育外来がある)なら当然の認識だと思っていたので、いかに不育症がマイノリティなのか、突きつけられた瞬間でした。
流産した原因を調べる。
それが次の命につながる。
子供に染色体の異常があるなら、治療方針も明確になる。
必要以上に命を亡くさずにすむかもしれない。
検査ができないかもしれないことは、私の未来がを奪われる、そう感じる程パニックを起こしたことはよく覚えています。
結果的に、なんとか絨毛染色体検査(胎児染色体検査)はしてもらうことができましたが、気が気ではありませんでした。
ちなに胎盤病理検査はできませんでした。
2.記憶のない流産手術と赤ちゃんへの手紙
今回は初めての流産の時のように、市民病院に転院することもなく、そのまま大学病院での流産手術を受け入れてもらえました。
幸いだったのは、産婦人科病棟ではなく「婦人科病棟」だったこと。
赤ちゃんの泣き声が聞こえるフロアでないことは、それだけは救いでした。
流産手術方式は、子宮内容除去術:掻爬(そうは)法です。
子宮を拡張させるための、ラミナリアという棒状の医療機器を何本も入れ、子宮を広げ、子宮内の胎児を掻き出す手術です。
1回目の双子の稽留流産、2回目の中期流産、娘の帝王切開、3回目の後期死産。
そして、今回。
私の子宮はどれだけ傷を負うのだろう。
こんなに傷を負って、今後、妊娠することができるのだろうか。
今こうやって、改めて記憶をさかのぼり、Noteを書いていますが、この時の流産手術は記憶がほとんどありません。
もう慣れたというか、感情に蓋をしたのか・・・。
ただ、手術前日、最期の妊娠になるかもしれないという気持ちが大きく、赤ちゃんに手紙を書いたものがスマホに残っていました。
赤ちゃんへ
かんちゃんの命日を前にお腹に来てくれてありがとうね。
忙しかったし、無理だなぁと思ってたから嬉しかった。でも同時に不安だった。
またお空に帰っちゃったらって思うと、お腹の目立たないお洋服探したり、周りにもほとんど言えなくて。
隠したくないけど、隠そうとするお母さんが嫌でした。
でもそれはお母さんを守るため、そして赤ちゃんを守るためでした。
お父さんは「これが最後」とやっぱり言うし、最後だから最後だから、と悔いのないよう、でも「もしも」を考えて行動してた弱いお母さんでした。
けど、悲しいことにまたお空に帰っちゃったね。
順調に行っていたんだけど、ダメだった。
お母さんの覚悟、足りなかった?でもその覚悟、難しいんだよね。
それだけ沢山お空にかえしちゃったから。
もう無理かな?
お母さんもう赤ちゃん抱っこできないかな。
あなたとお別れの前日の今、病院であなたのことを調べる検査ができないかもって言われてる。
原因不明不育症患者として紹介状で大学病院に来たのに、できないなんて思ってなかったから取り乱しちゃった。
だって、流産3回、死産1回の患者の流産手術なら普通やろう、と思うよね、って。
でも大学病院にはお母さんのこれまでの経緯や病状は伝わってなかった、というか多分カルテを見てもらえてなかったのだと思う。
いちから「不育症で」と説明しなくちゃいけないし、赤ちゃんの検査はこれからの私の覚悟のためにも必要で、「これが最後になるかもしれないから検査したい」と言わなきゃいけないのが本当に辛かった。
赤ちゃんの検査はこれからのお母さんの道筋なんです。
家族3人で生きてく可能性が高く、諦め半分だけど、諦めるにしても後悔したくないから。
だから、どうか赤ちゃんの検査できますように。
せめて、最後に赤ちゃんの声を聞かせてください。お願いします。
これが最後の妊娠になると思う。
だから覚えておかなきゃ。
お腹に来てくれた喜び。
つわりの喜び。
強い心拍が見れたこと。
母子手帳もらえた喜び。
赤ちゃんが来てくれたことで、人に優しい気持ちになれた喜び。
この喜びはすべて不安と紙一重だったけど、最後は喜びだけを思い出そう。お父さんがお腹よしよししてくれた。
お姉ちゃんが「元気に大きくなるのが赤ちゃんのお仕事だよ!」とお腹に話してくれてた。
そんな些細なことが幸せだった。
そう、赤ちゃんは些細な幸せをもたらせてくれる。
だから、私はもう一度赤ちゃんにあいたい。
でももう諦めなきゃいけないかな。
これからの未来は諦めた気持ちと諦められない気持ちが交差し続けるんだろうな。
でもいつか心から3人家族を喜び、幸せに生きていきたい。
半分諦めている自分と、やれるだけやりたいと思う自分もいる。
でももう周りがもう許してくれないだろうから。
私自身も妊娠の不安がすごい大きい。
お母さんの大好き赤ちゃん達。
双子ちゃん、お兄ちゃん、かんちゃん、赤ちゃん。
5人もいるから、寂しくないよね。
赤ちゃん、今日で最後だね。
お腹にいてくれる最後。最後の妊婦。
離れるの嫌だな。このままずっと居てくれたらいいのに。
寂しい、本当に寂しい。
でも、もう一度妊婦さんにしてくれて本当にありがとう。
2016.5.16
流産宣告日 2016.5.11(11w0d 大きさ10w5d程度)
3.男児は流産する?
無事に胎児染色体ができました。結果は正常の男児の染色体。
「また」男の子でした。
杉先生へ報告をした際、気になる一文が。
「やっぱり男児は流産する?」と。
そう。
私は1回目の双子以外、全て胎児染色体検査をしていますが、全て正常な男児。でした。
男児に何かあるかもしれない、常に頭にそれがよぎっていました。
私か夫の身体に何かあるなら、娘にも影響する。
子を持つことを簡単に考えてはいけないのかもしれない。
そんな不安が大きくなり、大学病院で遺伝子カウンセリングを受けることにしました。
次回、遺伝子カウンセリングのことを書こうと思います。
最期に流産がわかった日のエコーです。
****Kao****