私の不育症歴① 初めての妊娠が双子でした
今回から、私の妊娠・不育症(検査)など、一つ一つご紹介します。
長いので妊娠回数にわけてお話しさせていただきますね。
※10年以上前のことなので、思い出しながら書いています。
1.結婚
【2008年:27歳】 結婚
3つ上の夫と結婚。
バタバタするのが嫌で、入籍の半年後に結婚式、その2カ月後に新婚旅行とゆっくりスケジュールにしたので、すぐに子供を、とは考えていませんでした。
この時は、不育症の「ふ」の字も知らず、妊娠すれば産まれるもの、と信じて疑っていませんでした。ハッピーな新婚そのものです。
2.妊娠判明、双子でした。9週で流産。
【2010年:28歳】 1回目の妊娠
新婚旅行が終わり、子供を考えるように。
妊娠がわかり、普通に喜び、なんの不安も持たず、「流産」なんてことも思わず、でした。
実は20代前半の時、あるきっかけから、子宮頸がん検査を受けることになり、そこで「経度異形成」と診断され、5年間くらい定期検診に行っていました。(その後問題なくなりましたが、あれはあれできつかった)
結婚と同時に引っ越したので、子宮頸がんの定期検診は紹介された大学病院で受けていたこともあり、出産も同じ大学病院が良いかなと、初診に行き、無事胎嚢確認ができました。(最後の出産でもお世話になる病院)
次は約2週間後、ということで受診しましたが、
「双子ですね。ただ1人心拍確認できません。」
「双子の場合、もう1人も駄目になることが多いです。」
「また1週間後に来てください。」
一緒に検診に来ていた母と「双子!?」とびっくりしたものの「心拍確認できないって何?赤ちゃん産めるの?」と一気に不安がよぎりました。
「きっと大丈夫」「きっと大丈夫」と思いながらも「双子の場合は、駄目になることが多い・・・」という先生の言葉が頭から離れず、不安が大きかったのを覚えています。
その不安が的中したのか、約1週間後の再検診で、残念ながらもう1人の子も心臓が止まっており、9週で流産となりました。
こんな状況ではあるものの、病院からは「次、心拍確認出来たら必要だから母子手帳はもらってきて」と言われ、
ほぼ白紙の母子手帳が手元に残りました
3.流産手術を受ける
「大学病院では流産の処置はできない(もっと高度治療を優先という意味)」とのことで、状況もよくわからないまま市民病院へ転院。
日帰りだったと思いますが、流産手術(子宮内容除去術:掻爬(そうは)法)を受けました。
※掻爬(そうは)法とは、金属製の細長い器具を子宮口から入れて、正常の子宮内膜を傷つけないように注意しながら、子宮内の妊娠組織を全体的にかき出す方法です。普通子宮は閉じているので、子宮口を開く処置として、ラミナリアという棒状のものを入れる処置を行います。
市民病院ではとても気遣ってくださり、産婦人科病棟であるものの、赤ちゃんが聞こえない一番端のしかも個室を用意してくださっていました。
看護師さんからも「辛かったね、何かあったら言ってね」と声をかけていただいた記憶があります。
流産したばかりだったけど「次はここで出産したいな・・・」と思ったのを覚えています。
処置自体は麻酔がかかっていたので、痛みとかはありませんでしたが、前処置(ラミナリア挿入)が痛かったと記憶しています。
よく知らない病院、よく知らない先生、私自身も気持ちが追い付かないまま、淡々と流産手術を受けたような感じでした。
土日も含んでいたので仕事はあまり休まなかったかもしれませんが、会社の一部の人には妊娠を告げており、今思えばお花畑妊婦全開だったと思います。
初めての妊娠、しかも双子という、そもそものリスク妊娠だったようなので、先生からは「よくあること」と聞かされ、「そんなものなのか・・・」と辛いながらも初めての妊娠が終わりました。
まだ、20代、きっと次は大丈夫だろうと、この時もまだ「不育症」の「ふ」の字も知らず、疑わず、でした。
でも、周りは結婚、妊娠ラッシュで取り残された気がしました。
しかも身近に流産経験者は誰もおらず、気持ちを吐ける場所もなく「よくあること」として、蓋をして、自己完結してしまった気がします。
ハッキリ、双子とわかる、唯一のエコー写真です。
我が家で話をするときは、「ふたごちゃん」(そのまんま)と呼んでいます!
****Kao****