辛い1月
怖れていた1月に入って。
やっぱり去年の、いろんなことを思い出してしまって、辛い。
脇腹も痛い?し足の付け根も痛い。
体が反応しているのか、ほんとの病気なのか分からなくてそれも不安。
内科では胃薬で様子を見てるだけ。
毎日いつ倒れるかな。
この痛みが激痛に変わるのかな。
わたしもママみたいになるのかな。
という不安と
まだまだ生きたい
毎日を楽しみたい
子供のことしっかり見たい
ていう2つの気持ちがぐしゃぐしゃになって回っている。それでも家事も仕事も行けるしまぁ食べれる。不安になる度大丈夫大丈夫と念じて過ごしている。
ママのこと少しずつ書こうかと思う。
去年の今頃、ママは退院してお正月を家族と過ごしたものの日に日に体調が悪くなっていった。腹水もすごいし、足もひどく浮腫んでいた。
でもお腹がくるしいので横になることができず、ずっとソファに座ってるから、お尻が痛いって言ってた。
週に一回病院に通わなければいけなかった。
抗がん剤は入院中に一回しただけで結局やらないことになった。
最後の通院、私が連れていった。着替えるのもやっとだった。抗がん剤で髪も抜けてしまった。
それでも歩いて自分で車にのってくれた。
さすがに病院では車椅子を借りた。
診察は何をするでもない話を聞くだけ。
先生がやさしくどうだい?ご飯食べれてる?
と聞くも、もう1日に手のひらに乗るくらいしか食べてないって。ママが入院してからずっと私がパパとママのも作って運んでたけど、全然食べてないようだった。
それよりお腹の腹水と足の浮腫みが辛いようだった。
先生は気持ち1つだよって。家にいてもいいし、入院したければいつでもしていいって。
ママは家にいたかった。でも私本当は入院してくれたほうが安心じゃないかと思ってしまった。ママの容態の変化が怖かった。
この日は腹水を抜いてもらった。処置の間仰向けがすごく辛そうだった。
結構たくさん抜いて、やっと帰れるねってなって出口に向かおうとしたら、急にママはお腹が痛くなってしまった。それまでも痛みはあってそのたびレスキューを飲んでいたけどその比ではないくらいの痛みだった。
急いで看護師さんを呼んだ。
その時のママは本当に辛そうで私のトラウマになってる。
助けてって言ってた。
看護師さんが来る間手を握って大丈夫、大丈夫って言うしかなかった。
救急の処置室へ入って処置。といっても痛み止めを入れてそれが効くまで待つしかなかった。待合室でひとり待っている時間がとてつもなく悲しく、なんで私1人なのとくやしくもあった。
そう。本当はこんなに早く状態が悪くなると思ってなかったから、パパも休みをとってなかった。もう休んで毎日一緒にいてあげればよかったのに。なんで私だけ。私だけが体験しなきゃいけなかったの。まだ経験したくなかったよ。
ママは腹水を抜いたことによる痛みだったようで治まったら仕事を終えてきたパパといっしょに家に帰ってきた。私は先に薬をもらって帰っていた。
そこからママはガクッと悪くなっていってしまった。
ママきっとすごく不安で帰ってきたと思う。
またあの痛みが襲ったらと思うと。
薬は薬局で処方してもらわなければいけなかったので、時間を気にして私に薬だけはもらってきて!って泣きそうな声で頼んできた。
それでも家に帰ってきたママ。
家族と一緒にいたかったんだね。