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【小説】陸と海と空と闇 (第8話)

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第6章 空(1)

 病院には屋上庭園があった。
季節の花々やハーブがボランティアスタッフによって手入れされている。
木陰にはベンチがあり、時々カフェインレスのコーヒーや紅茶、ハーブティーがサービスされる日もあった。

ウイルス禍が下火になり、面会も、人数や時間制限はあるものの復活してきたので、患者と面会者が散歩しながら屋上庭園で談笑している風景が、再び見られるようになった。
リクは調子がいい時、ここに来て散歩したりマンガを読んだりしている。
外の空気に触れると、やはり気持ちがすっきりする。

 「リクくん、今日は具合がいい?」
看護師の川田が声をかけてきた。休憩中なのか、マグボトルとスマホを手にしている。
「うん、わりといいよ」
「そうしたらお願いなんだけど、ちょっとあおいちゃんの散歩につきあってくれない?」

葵は(リクが思うに「たぶん親の気を引きたくて」)病棟内で暴れまくっていたが、最近は(幽霊になった海の話だと「伝説の怪物『闇』に魂を抜かれて」)すっかりおとなしくなっていた。

川田は葵の担当看護師だ。
「散歩って言っても、最近葵ちゃん歩けないから、私が車椅子を押すの。ゆっくり押すから、リクくん一緒に歩いて話でもしてくれる?」
「うんわかったよ。……やっぱり葵ちゃん、ちょっと変だよね」
「そうね。葵ちゃんの担当になったばかりの頃は、もう毎日追いかけまわしてて、師長や医局や医事課に毎日謝ってばかりで、ご両親もお忙しくて連絡がつかなくて、本当に大変だった。だからおとなしくなってよかった~と思ったんだけど」
葵が変貌したことに最初は安心していた川田だが、さすがに心配になっているようだ。

「最初はただおとなしいだけだと思ってたけど、最近は毎日ずっとベッドでぼーっとしてるし、歩けなくなってしまったの。
そもそも歩く気があるのかさえわからない。
バイタルや血液検査は正常だから、ドクターたちは思春期のせいだとか言って、あまり心配していない」

リクは川田と一緒に歩いていく。
「葵ちゃん、いろいろトラブルを起こしていたから、他の患者さんたちに避けられていて、今はおとなしいんだけど、話し相手もいなくて。
リクくん、時々葵ちゃんと話してたでしょ?今日ちょっとでも話してくれたら嬉しいんだけど」
「了解」

 リクは川田の後ろについて、葵の病室に入った。
テレビの国会中継が流れている。絶対見てないな、と思う。朝ドラでも見ていて、そのままテレビつけっぱなしって感じだ。いや、朝ドラも見たかったのかどうか。配膳担当の人が朝食を運んできて、適当にテレビをつけたんじゃないか。
「葵ちゃん、リクくん来たよ~。ちょっとお散歩行こうか」
川田がテレビを消し、わざと明るく声をかけたが、葵は表情を変えない。
返事もしないが、車椅子に移乗させようとする川田に抗うことはなかった。

リクは杖をつきながら車椅子と並んで歩き、屋上庭園に向かった。
川田が車椅子を押しながら様子をみる。
「葵ちゃん久しぶりだね」
リクが声をかけたが、もちろん返事はなかった。

庭園に出ると、心地よい風がふわっと吹き抜けていった。
「気持ちいいね」
リクは葵の顔を覗きこんだが、葵はやはり無表情のままだ。

車椅子のひじ掛けに乗せていた葵の腕がだらんと落ちた。
川田はその腕をもとの位置に戻そうとして手にとる。
「……冷たい」
無表情、無言、冷たい手。川田の眼が潤み、唇がふるえた。
「葵ちゃん、よく熱を出して、手も熱かったのに、やっぱり……」

「魂を抜かれたから」

リクの喉元まで出かかったその言葉が、頭上から聞こえた。

「えっ」
自分で言ってしまったかと思ったリクは、口をおさえて上を見た。
川田も思わず空中を見上げた。

ぼんやりと人影が浮かんでいた。

(つづく)

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