隠岐島への旅2

島後の旅は、とても清々しい旅でした。

爽やかな天気。優しいご夫婦。

私達は、彼らが連れて行ってくださった観光名所をあちこち辿りました。

これぞ観光!素晴らしい。

最初から、不気味な場所への石投げじゃなくて

こんな旅を望んでいた!ワーイ🙌

水木しげるさんの妖怪のオブジェをみながら、

ご主人さんが

僕の父は、彼のことをよく知っていてね。彼は、実際、見えていたんだと思うよ。そんな話をきいた事があるよ。

Kさんが、それをいうなら、kao、、、

私はせっかくの普通の観光になった旅をぶち壊されたくなくて、Kさんの心霊話を遮ぎりました。

なんで、道に壊れたお地蔵さんが、たくさんあるんですか?

これは、廃仏毀釈の時に破壊されたんだよ。まだ、残っているんだ。この辺りは酷かったらしい

へー、そうなんですね。

ひいお婆ちゃんのお父さんが、酒蔵の樽から落下して、酒の味が変わり、神社のうちも立ち行かなくなり、豪商だったひいお爺ちゃんの妾として、東京に来た。それは、聞いていたが、

明治の廃仏毀釈が背景にあったのか、と腑に落ち

当時、神社は大変だったのでしょうね。と聞いたら、ずいぶんと藩からきた侍が、強引に叩き潰して行ったそうですよ。

そう話していると神社につきました。

八尾比丘尼の伝説の場所に大きな木があり、私は木を触る社員の真似をして、大木に抱きつきました。

ここには、古代の私達の知らない文化があったんだよ。木がそんな風に教えてくれたような、そんな気がしました。

そして、その後、島の歴史資料館にいきました。

後醍醐天皇?後鳥羽上皇?

ああ、ここに島流にあったのか。歴史で習った。闘牛を天皇を慰めるために島民が開催した。

一人でKさんとご夫婦からはなれ、展示されたものを眺めていました。

すると、頭後ろから背中にかけて、ひっぱられるような感じがして、それは私を包み込み、身体の周り全体に何かかぶさったような変な感じがしました。見えないエネルギーの丸にすっぽり入ってしまったようです。

私はそのエネルギーに連れられるように、展示されている書を見に行きました。

後鳥羽上皇の和歌の書かれた短冊がありました。

それをみた瞬間、生まれて初めて、

身体の芯から、震えるような悲しみを味わいました。こんな感覚は、本当に今までありません。

涙が止まらなくて、留めなく流れ、それがもう出なくなり乾ききり、絶望と怒りをさらに通り越した、強い悲観の感情。心臓も脳も、五臓六腑全てが、電気に感電したみたいに悲しみで小刻みに震えます。

私は、なんとお気の毒な。と、身体が引き裂かれるような気持ちを慰めようと、一生懸命心を伝えました。

たまらなくなり、外に出ると、

そろそろ次にいきましょう。と、3人が外で待っていました。

不思議な事に、建物から出た瞬間、私はいつものお気楽な私に戻り、あれは、一体なんだったんだろう。と平常な心に戻りました。しかし、身体にはビリビリした静電気のようなモワモワした感覚は、残っていました。

それから海の良く見える高台の、素敵な場所に、連れて行ってもらいました。

奥さんが、海をみて、みて!凄い!あれは何ですか?指を刺した場所を見ると、海面がキラキラ光輝いています。

ご主人さんが、あれは、ダイオウイカじゃないか?凄いね。きっと君たちを歓迎しているんじゃないか?

私はその、キラキラ動く大量の大きなイカの大群をみながら、きっと、ご夫婦の里帰りも喜んでるんですよ!と興奮していいました。

4人で、ありがとう!とその壮大な景色に声を出して、感謝しました。

夕方になり

今日は、本当にありがとうございましたと、お別れを言ったら、

君たち、夕食付きの宿ですか?ときかれ、

はい、そうです。と答えたら、

どこの宿ですか?と

ご主人がその宿の食事をキャンセルしました。

せっかく来たんだ。ここでしか食べられない特別な料理を食べにいきましょう!

地場の色のついたカイや、魚、珍しい美味しい料理をいただきながら、

出雲の民の話や、水木しげるさんの妖怪は出雲の古代の神々を描いた話だったとか、興味深い話をたくさん聴きました。

出雲大社はとても大きかったんですよ。

ああ、私は夢で壮大な大社に参拝した夢をみました。不思議なのは、地図も窓ガラスにうつるし、自動運転の車なんですよ。未来みたいです。

奥さんが、きっと古代は今の私達より凄く発展していたんじゃないかしら。と答えてくださり、

その日は、隠岐島の地酒で、ほろ酔い気分で、そのご夫婦とお別れをしました。

Kさんと私は

またまた、美味しい料理をご馳走になりましたね!

最高だったね!と、幸せな気持ちで布団に入りました。

次の朝、フェリーに向かう途中に、竹内神社と書かれた鳥居の前を通りすぎました。

ひいお婆ちゃんは、後妻にはいり、生涯竹内姓を名乗りつづけました。お婆ちゃんからは前妻が籍を抜かなかったので、そのままにしていたのよ。

何でうちには、表札に2つ苗字があるの?

と訊ねた私に説明しましたが、前妻は早く亡くなっていたはずなのに、ひいお婆ちゃんが竹内姓を名乗り続けた本当の理由は

きっとこの出雲、隠岐島の竹内と言う名に誇りを持っていたからだ。そう思いました。

島後の旅は素晴らしいものでした。てっきりこのまま、続くとばかり思っていましたが、、

最後は、恐ろしい体験が待ち受けていました。

つづく














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