インディアンは、自然を操れる?
シャチで、思い出した事があります。 ベリンハムと言う、アメリカの田舎の街と、母の住んでいた千葉の館山とが、 市のイベントで、 芸術家の交換をする事になり、 一緒に同行しました。 ベリンハムの青年芸術家の男の子が、 千葉県で展示会をして、 母の墨絵がベリンハムで、展示される そんなイベントでした。 それで、大した英語も話せないのに、 私は、母に言われて なぜか、通訳として同行しました。 向こうには、美子さんと言う、日本から50年前に結婚し、渡米した日本人がいました。 母は、変わった人で、世界じゅうの誰とでも仲良くなる人です。 たまたま、母の墨絵が展示されていた 部屋の隣に、店があり、 暇だったわたしが 立ち寄ったインディアンの鮭を描いた 絵を気に入って、 これは誰が書いたのですか? と聞いたら、 たまたま、インディアンの作者がいて、 母が持ち前の社交性を発揮して、 その画家の家に招待されました。 母とインディアンは、いったい何語で、 コミュニケーションをとっていたのか。 デイビッドに、あれは日本語か? と質問され、 彼らの会話について聞かれましたが、 いや、英語なんじゃない?と、私が 聞き返すと、 No, だって、僕は意味がわからないよ。 と言われました。笑 それから、デイビッドと美子さん老夫婦と、私はインディアンの 彼に自宅に招待されました。 インディアンの自宅を訪ねたのは 初めてでしたが、素朴な木造の 家でした。 何点かの作品をみせながら、母とインディアンはとても意気投合していました。 母の絵を展示している会館では、 その夜、 ベリンハムの市長や、その関係者と、 私達が集まりパーティをしていました。 田舎の市のこじんまりとした会でした。 滞在先のアメリカ人のお爺さんの デイビッドは、 母のかいたTシャツの狸の金玉袋を、 わたしに、これは何だ? と、しきりにききます。 一応、通訳なので、これは、あれだよ。 と、渋々、答えると、デイビッドは喜んでいましたが、市長の奥さんは、 No❗️みたいな顔して、どこかに行って しまいました。 勘弁してくれ。 そう思っていた、やさき、 急に太鼓の音が響きました。 ドンドコ、ドンドコ、 昼に出会った、インディアンが、太鼓を持って、祝いに駆けつけてくれたようです。 私達は、ありがとうと言って、 彼らの歓迎を受けました。 市長をふくめ、白人達は、びっくり! 彼らは、 長い間、近くにいるにも関わらず、こんなにインディアンが自分達の近くに来たことはない。そう、言っていました。 インディアンの彼が、わたしに言いました。貴方達を歓迎しています。 明日は素晴らしい事がおこるでしょう! なんだかわからず、 ありがとうございます。 といいました。 次の日、デイビッドが提案してくれて、 私達は、ドイツ人をルーツに持つ、女性と、美子さん、(デイビッドの奥さん) と、母と私とで、カナダの国境のビクトリアに向けてのクルーズに出発しました。 しばらくすると、 船長がマイクで叫んでいます。 オルカ!オルカです! 凄い数です!僕は船長を長年していますが、こんな事、初めてです! 貴方達、本当にラッキーです! と、アナウンスが聞こえてきました。 クルーズ船の周りを見回すと、シャチの大群がみえました。あたり一面、海を覆うように何百頭のシャチがいます。 みんな、寝ている。と、船長は、まだ、 興奮冷めやらぬ声で、アナウンスしています。 アラスカの海は、凄いですね! 私と母は、驚き、その、壮大な景色に 心を奪われました。 美子さんも、同行していたドイツ人系アメリカ人も初めてみる光景に驚いていました。私50年ここに住んでるけど、 こんなの見たことないわ! そして、インディアンの方の、 明日、素晴らしい事がある。それは、 この事だったんだ。そう思いました。 彼らには、自然を操る能力があるのかも しれない。 そんなふうに思いました。