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キッチンで缶ビール|連載「記憶を食む」第13回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。
第13回は、著者とっておきの「癒し」の話。日々の行動が、日々の疲れを癒していく。

 いつか「寮母」という仕事をやってみたいと、夏がくるたびに思う。大量の料理を作って、大勢の学生や社員に食べてもらって、「ごちそうさまです!」なんて言われて、また明日の献立を考えて……という仕事を、いつかやってみたいと何年も前から密かに思っている。きっかけはなんだったか、甲子園のドキュメンタリーを観たからかもしれないし、SNSで寮母さんが運営するアカウントを見たからかもしれない。平均的な家族の人数では到底作らないようなたくさんの料理を用意して、お腹いっぱい食べてもらうことになぜか憧れがある。わたしは夫以外の誰かに料理を振る舞ったことが、ほぼない。振る舞えるほどの自信もないのだが、本当は作った料理を食べてもらいたいのかもしれない。毎晩寝る前に眺めるYouTubeも、「一日五百人が訪れるデカ盛り弁当屋」や「相撲部屋の料理動画」のようなものが多く、無意識のうちに食べ物や料理に関する動画ばかり選んで、そして深く癒されていることに気づいた。

 旅行先で温泉に入ったり、犬や猫を触ったり、食器を漂白したり、足裏をごりごりマッサージされたり……リラックスする、気持ちいい瞬間は多々あれど、いちばんのストレス発散はお酒を飲むこと、だと思う。冷えたビールさえ片手に持っていればわたしは機嫌がよく、一杯目を飲みながらメニュー表を眺めているときなんてもう、至福の時である。二十代の頃は毎週のように友だちや同僚と飲みに行って、その雰囲気が好きだと思っていたが、ひとりで飲むのもじゅうぶん楽しくて、「ただ飲むのが好き」ということに気づいた。ひとりで赤提灯の店で飲むことや、出先で少し時間があいたときにビアスタンドで一杯飲むこと、家で料理をしながらキッチンで飲むこと……春の気持ちいい夜に、一駅ぶん歩きながら缶ビールを空けること。六月下旬のいまは、爽やかな飲み口のビールがたくさん売り場に並び始めて、その青や緑の缶の色を見るだけでなんだか、胸がきゅっとする。

 毎日キッチンに立ち、ゆっくり手を洗って料理にとりかかる。ラジオを聴くようになったのはここ数年のことで、仕事や家事をしながら、お気に入りの番組をローテーションしている。特に、料理とラジオの相性は抜群にいい。くだらない話であればあるほどよく、米を研いだり芋の皮を剥いたりしながら大笑いしている。少し前にラジオで聴いた話で、すごく印象に残ったものがある。子どもと夫と暮らす女性が、夕食の唐揚げを揚げるときは、いちばん美味しそうに揚がったものを先に三個くらい食べることにしているらしい。そして夕食時、息子たちや夫の皿には大盛りにして、自分の皿には一個や二個だけのせる。すると、「ママ!それだけじゃ可哀相だよ」と、みんなが唐揚げを分けてくれるのだという。ケーキも、一個余分に買ってきて、帰宅即食べるのだそうだ。わたしはその話を聞いて、いたく感動した。なんとたくましく、機知に富んだ行動なんだろうか。食いしん坊の話と見せかけて、自分が機嫌良くいられる選択肢を増やすという、他者へのケアにも繫がるような含蓄のある話だった。

 家で仕事をしていると、仕事と休みの区切りがつきづらい。何曜日は休みとか、何時まで仕事、などと決めているわけではないので、曜日感覚も消失している。それゆえ予定がたてやすかったり、融通がきく部分はかなり大きいが、気持ちの切り替えが難しいというのもまた事実である。仕事場と住居が同じだと、この現象に陥りやすいのではいないだろうか。自営業の夫婦二人の暮らしとは気楽なもので、何時に起きても寝ても自由で、ごはんもなんでも良いし、慌ただしさは全くない。しかし、自由すぎてもかえって休まらないという、皮肉な現象が起きている。そんな生活スタイルで最近の癒しとなるのは、料理しながらお酒を飲むことだ。

 夏の夕方、明るいキッチンでラジオを流し、夕飯を作りながら缶ビールを開ける。これだ!と思う。プシュッという大好きな音が、仕事と休息の境目になる。茄子とトマトとししとうを洗い、枝豆を茹で、豚肉を小分けにして冷凍し、米を炊く。作った料理を少しずつつまみながら、ビールを飲み進める。いまはSNSでも料理のレシピが無数に紹介されていて、参考に作ることもある。中でも、「白ごはん.com」が基本の調味料と材料で作れる親切なサイトなので、よく使わせてもらっている。数年前まではさほど興味のなかった料理だが、やり出すと楽しく、つい作りすぎる。冷蔵庫にあるもので作る、ということにもだんだん慣れてきて、メインのおかずを決めてから副菜を考えることも、手数が増えたからか苦ではなくなってきた。わたしは過去、自分の本で「日記は筋トレ」と書いたことがあるが、料理も筋トレで、続けていると確実に育つ領域なのだと思う。

 少し酔っ払ってきた頃に、料理が出来上がる。最初はたった三、四品作るだけでも三時間くらいかかっていたのが、近頃では一時間もあれば鍋やフライパンの洗い物まで済む。お気に入りの番組を聴き終わるまでに作ると、達成感もひとしおである。ちょうどビールも一缶飲み終わり、いい気分でお皿に料理を盛り付けていく。窓を開けていると聞こえてくる、近所の家の子どもが親に怒られて泣く声や、隣の家の人が帰ってきたドアの音、じめっとした夏の夜の空気。昨日と同じ穏やかな一日が、ただ続いていくということも、幸せだなと思う。毎日、毎秒、自分を癒してくれるものが増えている。これからもう一缶飲もうかと考えながら窓から顔を出して、薄い月を眺めた。

僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)など。自費出版の日記集も作っている。

次回は7月19日頃の更新です。
隔週金曜日に更新予定です。

過去記事は以下のマガジンにまとめています。


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