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チーズケーキの端っこ|連載「記憶を食む」第1回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。

 肌寒くなってきたこの頃、ひどい冷え性のわたしは手足が氷のように冷たく、爪も紫色で筋肉も凝り固まっている。そういうときいつも、冷蔵庫のチルド室でカチコチになっている肉のことを思い出す。近所のスーパーで買った豚こま、ダイエットのために常備している鶏胸肉。自分の顔の鼻や耳や、服に覆われていない手などの出っ張ったすべてが、冷蔵庫の肉のようでいつもドキッとする。昔から寒がりのわたしは、「寒くない」というだけで、真夏の日差しを浴びているときでも機嫌が良い。冬に向かっていく気候をどうサバイブしていけばよいか、毎日うっすらゆううつになっている。でも、だけど。食べ物のことを考えると鳩尾のあたりがぽわぽわと温かくなる。それはわたしが、食べ物を胃に入れるとすぐ身体全体が熱くなり、やがて眠くなっていくから、反射的にそう感じてしまうのだろうか。その感覚を一言で表すなら幸福、だと思う。お腹がくちくなったとき、心も同様にみたされてくちくなっている。

 二〇二一年に初めて出版社から本を出した。風変わりな喫茶店について書いた本でデビューして、以降執筆活動を続けている。その喫茶店で働いていたとき、「ウエイトレス」という長閑なイメージとは裏腹に、忙しく過酷な厨房で毎日汗を流していた。狭い持ち場を二、三人で接客から調理、仕込みまでを回すので、常に何かやることがあって手を動かしながら働いていた。時折叫びたくなるほど忙しかった。しかし、元々何かを作るのが好きなので、タマネギを切ったり、サンドイッチ用のパンにからしマヨネーズを塗ったり、そういう黙々とできる単純作業が好きだった。疲れる仕事ではあったけれど、癒やされてもいた。そんな日々をいつも思い出す。

 地味でありながら一番苦手だったのは、チーズケーキを切る作業だった。お店で手作りしているチーズケーキは、昔ながらで素朴な味の人気メニュー。そのレシピを知っているのはマスターの妻だけで、週に何回か早朝に来てせっせとケーキを焼いている。早番だったわたしは、店の鍵を開けようとするときにふんわりと香るケーキの匂いを嗅いで、「焼いているな」と思うのだった。早朝に焼いて、粗熱をとって数時間冷やす。型を押しつけて切れ目を入れたあと、包丁で一つずつ切って金色の紙で包む。その作業が、わたしは店を卒業する間際まで本当に苦手だった。本当だったら、ケーキを焼いてから数時間後ではなく、丸一日くらい冷やして、生地がじゅうぶんに固まるのを待ってから切った方がよい。だが、人気メニューゆえに消費が早く、いつも急いで作って急いで切らなければならない、という事情がある。あまり想像がつかないかもしれないが、わたしが勤めていた喫茶店では、春夏はクリームソーダやコーヒーゼリー、秋冬はケーキ類を注文するお客さんが多かった。チーズケーキも例に漏れず、寒い時期は飛ぶように売れ、注文が入ってから慌てて切ることもあった。思い出しただけで、ほんのり胃が痛くなってくる。 

 前述したように、小さい店だったのでとにかく厨房が狭かった。狭い作業台でいくつもの仕事を並行していくので、テトリスのように皿や鍋を移動させて空間にはめこんで作業場を作っていく。広い作業台があればもう少しやりやすかったのかもしれないが、狭いところでちまちまとケーキを切っていくのは、ものすごい集中力と平常心が必要だった。注文や作業の合間をみて「さあ、ケーキを切るぞ」と意気込んで切り始めた瞬間に、店が混みだして食事のオーダーが立て続けに入ることもしばしばだった。自分がベテランになった頃は誰かに頼るわけにもいかず、「ケーキを切る以外なら大丈夫なんだけど……」と思っていた。

 しかし、そんな地味につらい作業にも小さなご褒美があった。柔らかいケーキを切っていると、台座のところにちょっぴり切れ端が残ることが多い。よく冷えて固まっていたら綺麗に全部切れるけれど、焼き上がってすぐで柔らかいと、どうしても残りがちになる。その、少しだけ残った一口のケーキを食べるのが、いつもわたしの楽しみだった。隠し味の柑橘の風味と、上質なクリームチーズの酸味が見事に調和している。焼き上がるときに香るバターはしつこくなく、1ピースでもぺろっと完食してしまうだろう。指の先ほどの小さな欠片を食べて、ぬるくなったコーヒー、もしくは氷が溶けて薄くなったコーヒーを飲む。一瞬のご褒美でまた、頑張ろうと仕切り直すのである。お店が残っている以上、あのチーズケーキもずっと定番であり続けると思う。でも、辞めたいまでは、チーズケーキを注文することはできるけれど、あの端っこはもう食べられない。もう食べられないと思うと、むしょうに食べたくなる。あれは普通に食べるケーキ以上に忘れられない味だった。

 つまみ食いに関して、思い出深い記憶がもう一つある。子どもの頃、母と苺のショートケーキを手作りした。あのときも冬の寒い日だった。我が家は冬生まれの人はいないので、誕生日などの特別な日でもなかったと思う。五人と一匹の家族で人数が多く、食事もお菓子も市販のもので済ませることが度々あったので、ケーキを手作りすることは本当に稀なことだった。

 その日、年の離れた兄たちは学校だったか部活だったかで家におらず、母と二人でケーキを作るというイベントは特別感があって心躍った。生地をオーブンで焼いている間、生クリームを泡立てる。温度が高いと固まらないので、母は「これが結構難しいねんな」といつも呟いていた。ただの液体のように見えていた生クリームが、だんだん固くなっていく様子は、子どもながらに不思議な光景だった。やがてハンドミキサーを持つ手が、固くなった生クリームを混ぜるのに疲れてくる。ボウルとハンドミキサーがぶつかる音が何度か響いたあと、ぴん、と角が立った美しい生クリームが出来ている。壮観だった。

 ハンドミキサーの回転する泡立ての部分を、ビーターという。そのビーターに少しだけ残った生クリームを、「舐める?」と母が聞くものだから、わたしは驚いた。舐めたい……という、心の内を見透かされているようだった。わたしはお預けを食らっている犬のように、ビーターについている生クリームを凝視していたのだと思う。昔から思っていることが顔に出やすい。普段の母であれば許さないであろう、調理の最中のつまみ食い。「お行儀悪いけんな、特別な」と言われてビーターを舐める。出来たばかりの生クリームを、つー、と舐めとる瞬間に甘さがびりびりしびれる。お行儀が悪い仕草を許されていること、できたばかりの生クリームを味わっていることが合わさり、無性においしく感じたのを覚えている。焼き上がった生地に生クリームを塗ったり、切った苺を飾り付けしたり、といった行程ももちろん楽しかったけれど、泡立て器の生クリームを舐める瞬間は格別の味わいがあった。わたしはあの瞬間から生クリームの虜になった。そういえば、あの喫茶店で働いているときも、生クリームを泡立てる仕事は毎日のようにあって、いまだから言えるが、やはりあのハンドミキサーのビーターを、舐めたくて仕方なかった。もちろん舐めたことなど一度もない。でも、すごく忙しい仕事の合間を縫って、ティースプーンに掬った生クリームを一口、お客さんから見えないところで舐めてはいた。同僚とにやにやしながら、生クリームを補給していた。

 幼かった自分は、忙しい母を独り占めしてケーキを作れたことが心底うれしかった。仕事や家事に追われていた母が、兄妹三人を育てながら日々のことをこなすのはすごく大変だったと思う。そんななかケーキを手作りするというのは重労働ではあったはずで、時間と手間をかけてくれたことも甘やかな思い出として心に残っているのだろう。あのハンドミキサーはまだ実家にあるだろうか。もしあったとして、母はあのときのことを覚えているだろうか。

 年末の足音が近づいてきて、毎日ばたばたと過ごしている。一週間が三日くらいに感じるほど、時間が過ぎるのが早い。季節の変わり目にはいつも風邪を引くので、ほぼ毎食頑張って自炊して栄養をとっている。冬のいいところは、鍋料理にしてしまえば簡単に美味しく栄養がとれるところだと気づいた。それに、寝るのが格段に気持ちいい。そろそろ大好きなクリスマスがやってくる。クリスマスケーキを決めるだけで、すいぶん時間がかかってしまった。ケーキにかんするへんてこな思い出が、冬になるたび顔を出す。

僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)など。自費出版の日記集も作っている。

次回は1月26日頃の更新を予定しています



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