見出し画像

国際結婚・海外子育て 日本語教える? 026/360

ごきげんよう、コーチバタコです。
  実態は・・コーチを目指してお勉強ちう。
目指してるうちから「心意気だけは」プロのつもりで名乗ってみてます。



**********************************************************************************
お断り:
我が家のネット接続が突然使えなくなり、この記事はイロイロ引用して書こうと思っていたので、下書き自体も途中で止まってしまい、連日の投稿が止まってしまいました。幸い、ネットは約24時間後に復活したのでまた投稿は続けます。   →→→ネットが使えなくなり旦那に対応丸投げしたハナシ
**********************************************************************************


先日の記事の最後で、「また今度、記事にします」予告しておりました

「国際結婚、海外子育て、
周り(友人、学校)は外国語スピーカー、という状況での
コドモへの日本語教育をどうするか?」

という話題。

コレ、海外子育て組や、あるいは日本で国際結婚など、
多分みんなやっぱり気になると思います。

まずはざっと、この状況でもちゃんと日本語を教えるメリットから。

1.将来、日本(または親の国)で進学や暮らすことになるかもしれないし
 選択肢を増やすことになる

2.みんなが苦労して第2外国語を身に付ける時代
 コドモのころから割と自然な形で吸収できていれば
 ベスト(時間や労力の節約?)

3.親が子供と「込み入った」「深い」ハナシをするとき
 日本語で話したい

4.ジジババ (日本人祖父母) その他の親戚との
 コミュニケーションに使える

5.教養や日本(または親の国)文化の継承として
 日本語を教える

どれもこれも「もっとも」な論点ですよね。

じゃあ、みんな当然やればいいじゃない?
もちろんやってるよね?

いえいえ、ソレがそうでもないんですよね・・
理由は、思いつくままに


1.(確かに赤ちゃん期、母親との関係が
 激・濃厚な頃は 母=日本人だと
 語りかけが大事だし、割合も高いけれど)
 もう一人の親御さんが日本語スピーカで
 家庭内の会話が日本語だと
 割と自然に、子供も覚えると思われるけど
 パートナーとの会話が外国語だと
 かなりしっかりしたルールや主義を決めておかないと
 当然、その外国語が主な会話手段になっちゃう

2.親子で外出していて
 (バタコはそうでしたが)
 例えばスーパーで日本語をしゃべっていると
 「明らかにガイジン」感があり、気になる
  →もしかして差別的な待遇を受けるかも?
  →もしかして詐欺のような犯罪のターゲットに
   なるかも?
 英語で話せるならそれで乗り切ってしまおうと
 そんな気分になった自分。

3.幼い頃は主に日本語で話していても
 外の世界に出ていくとき
 3a)公園で他の子に言い返せない
   我が子を見て
   日本語教育よりとりあえず
   まず現地語で立ち向かう能力を付けさせたい
   と親が思った、
   というようなケース
 3 b)保育園や小学校などで
   仲のいい友達ができると
   コドモ本人にとって
   そちらの人間関係の優先度が上がる
   (家庭での親との「日本語」関係よりも。
   ←親は現地語も話せるのであれば
   じゃあそっちで話そうよ、となりがち)

4. 上記3の延長かもしれませんが
  現地語での学校・社会生活、対人関係が
  存在するので
  それとは「別に」「わざわざ」
  日本語をするにあたっては
  モチベーションが上がりにくい。
  とても上手にコドモのやる気を引き出すか
  あるいはやや強制的圧力で
  親が時間・労力・感情エネルギーなどを使って
  辛抱強く長期にわたってインプットする必要があり
  途中、どこかで挫折することが多い。

などなど。
(ほかにもあるかもしれません)

と、日本語をコドモに学ばせるメリットと
メリットはあっても挫折する要素を書いてみました。

どちらのご家庭でもこのバランスを見て
どこかで決断されるのだと思います。

バタコは実はハッキリ決断したわけではなく
「まぁ日本語もできるに越したことはないよね」
くらいの甘い気持ちでやっていたので
ひとたまりもなく挫折しました。

ちなみにバタコの両親 (じじばば) は
かなり強く「日本語ちゃんと教えなよ!」って言ってたのですが (笑)
親不孝ごめん・・

バタコの中にも「べき」論として
「親 (=自分) が日本人なら
最低限の日本語を身に付けさせるのは
良識ある親の義務だ」
みたいな「正義」の意識はありマシタ・・

ながいことどっちかというと
「正義」を実行できないダメな自分・・
というような気持ちでいたのですが、

最近、いくつかの「反論」を目にして
キモチが楽になったので
バタコ自身の意見ではないのですが
 (かなり参考にさせていただいてますが)
ご紹介したいと思います。

「日本語を子供に教えるべき」への反論
その1
オーストラリアでコーチとして活躍されてる
ロックウッド香織さんの記事
   ※リンクがつけられなかったのですが
     香織さんのホームページのブログ
    2018年5月21日の記事です。
     検索窓で「フェスティバル」と入れると出てきました。
オーストラリア人の旦那様との間に
5歳になる息子さんが居ます。

バタコの要約:
香織さんの小学校時代を振り返ると
アリアリと思い出せるのは
学校祭で舞台に立った時の緊張感と逃げだしたくなるような不安

夏祭りで買ってもらった綿菓子の甘さや、夜の学校にいられることのワクワク感

炎天下の運動会で組体操をやりきった達成感やリレーで1等になれなかった時の悔しさ

冬のマラソン大会で必死に”心臓破りの坂”を登りきった時の血の味がする白い息

学校で飼っていた孔雀の鳴き声や、真っ赤なサルビアの咲いた花壇の土の匂い

など、五感で感じたこと。
      ※バタコは香織さんの文章がとても好きです
      ↑上の5文はそのまま引用してますが、こういう五感に訴える
       叙情的な文章がビンビンと響きます。
勉強の内容ってそんなに憶えてない。
(いわゆる「お勉強できる」子だったのに)
人生で本当に意味のある事
忘れないコトって
「親が必死になって義務感で教える日本語」
よりも
もっと別のことなんじゃないかな?
   ※香織さんは、バタコがお勉強中の
   「マザーズコーチ」でもあり
    養成講座も開いてらっしゃいます。
香織さん自身が今でもありありと思い出せる
そんな思い出をたくさん作ることが
語彙力や表現力につながると思う

香織さんの意見は「言葉はツールでしかない」
それよりも、

「情報を取捨選択し
自分の意志で人生を切り開いていける
自律した子に育てること」

が最優先で
日本語教育に母が必死になる
(今、教えないと取り返しがつかない!
とか焦りや罪悪感を持つ)ようでは
かえって弊害になってしまうかもとの提言がしみました。

マザーズコーチでは
「まずはお母さん自身が、人間として幸せでいるように」
と教わりますがそれに添ったお話ですね。

「日本語を子供に教えるべき」への反論
その2
ロンドンで鍼灸クリニック経営しつつ
カラダとココロのはなしをブログに書いてらっしゃる
KIKAさん

旦那様はイギリス人です。
(2018年で) 11歳と8歳のお嬢さんたちは
日本語は日常会話程度で
読み書きは小学1年生レベル
でも、頑張ってこれ以上を目指そうというこだわりは
全く無いのだそうです。

つい最近までバリキャリ+事業主で
人生経験がとっても豊富なKIKAさんらしい
「子供に日本語教えない」理由とは  →原文はコチラのブログより

昔、日本語がペラペラのアメリカ人A氏と
日本語力は中級のアメリカ人B氏が職場に居た。

A氏は日本語ペラペラなだけに
アメリカ流の押しの強い商談を日本語でやって
日本人に「引かれて」しまう。

B氏はあいさつは日本語で
商談は「ごめんね~、ぼく、英語で言うね」
と英語に切り替える。
でも、相手の日本人には「日本語 (少しでも) 話してくれて
ありがとうね」と感謝される。
Aさんは、日本語力の劣るBさんが人気があることに
嫉妬してた・・

さすが、ビジネスの現場で働いてたKIKAさんの体験談、
文化論的に深いところに突っ込んだお話ですよね。

また、

KIKAさんの職場で面倒を見ることになった
日本人ハーフで日本語ペラペラのインターン大学生
Cさんの話題も。
彼はそのペラペラの日本語で、年上目上のKIKAさんに「ねえ、
おなかすいた、お弁当買って」みたいなノリで来る。
日本語なだけに、腹が立ってくる。
ペラペラな日本語は、そこに「日本文化」的
背景知識も当然ともなっているだろうという、
周りの日本人の期待を高めてしまう。
その期待値とのギャップがあると、
社会生活や人間関係上かえって損してしまうことも。

香織さん、KIKAさんお二人のご意見を
「もっともだな~」と思ったバタコが
少しだけ加筆しておくと

バタコは中学入学した11歳頃に
「絶対、英語ペラペラになる」
と決め
結局それから30年くらい経って
今でもまだ毎日勉強中ですが
就職するに困らないくらいの
英語力は身に付いてます。

それって
誰かに言われたからでも
お金になると思ったからでもなくて
「自分で、やると決めた」
「心の深いところで生まれた
何があっても揺るがない決意・夢だった」
からです。

何事も、強い決意
揺るがない「好き」があれば達成できる。

それって、ややバラ色な見解ですが
その裏を返せば

「ちょっとやそっとの決意、興味では
達成できることは限られてる」
「人生は、時間もその他の資源も限られていて
キツイことを言うようだが
本当にやりたいことを達成するためには
それ以外のことはかなり切り捨てないと
全て共倒れになっちゃう」

とも言えます。

それがまさに深いところでは
香織さん、KIKAさんのお話に通じると思います
香織さん:五感を働かせ
     自分が本当にやりたいことを
     見逃さないアンテナを普段から鍛える
     母親の自分もそうであり続けたいし
     コドモにもそう育ってほしい
KIKAさん:人間関係の構築に本当に大事なのは
     語学力とは別のところにある。
     なまじ言語が得意だとその文化背景への
     期待値も高まって、
     損しちゃう可能性の方が高い
     (日本語ペラペラなら
     「じゃ敬語も使えるだろう」
     「遠慮、年功序列、謙遜、空気読む、
      もちろんわかるよね、と期待される」)
     

もしバタコの息子たちが「日本で生きる」と決めるならば
日本社会の期待の中で
自分の意志・主張・特性との妥協点を
見つけていかなければならない

(それができる強靭さ柔軟性を身に付けることを
親として応援する以外には
彼らの人生の決断に、親の出る幕はない)
      
だから、将来、ウチの長男・次男が
■どうしても日本に行きたい、住みたい、
 留学したい、日本語スピーカーと結婚したい
などの強い熱意を見出し、その道に生きると決めたなら
別にそれから日本語、頑張ったらいいんですよね。

親としては子供の将来の選択肢を
「広げてあげたい」
と私も思いますし、誰でも思うでしょう。

でも可能性を広げること
「つぶしがきく」「効率性重視」
であることより
ホンモノの熱意を見つけること
(選択肢を絞り切る、むしろ多くを切り捨てる)
常に自分の「コア」からぶれない生き方を
しなやかに続けられること
がまず先だと思います。


「バイリンガルにしてあげたい」
(みんなが憧れるし、お得だと思うから)
とか
「親みずからの日本文化への名残惜しさや
ノスタルジアから
パニック的にコドモに文化継承しようとする」
ような感覚を超えたところで
ゆったり子育てしたいです。

というわけでバタコとコドモたちは
一応、日常生活で「思い出したとき、程度」
日本語を使ってみたりしますが

バタコは「消極的理由」から
 (主な理由は「怠慢」
 ←毎日ブログを書くことに必死だから
 「子供の可能性を最大限拡大する」
 コトの優先順位が低い)
コドモに日本語は、ほとんど教えておりません。

アナタのご家庭はどうですか?
アナタご自身の心に沿う選択ができてるといいですね!

ではまた明日!


<お知らせ>
Twitterでは #10分電話 やっています。
バタコと10分電話で話してみませんかっていう
それだけの企画です。
人見知り・引きこもり系だった自分ですが
色んな方とお話しさせていただきたいな~と思い
始めてみました。
よろしければTwitterにてDM下さるか
こちらのフォームからご連絡ください。

**********************************************************************************
■関連記事:自宅wi-fiがネットにつながらなくなったので、旦那に丸投げで直してもらったハナシ

■関連記事:前回の記事、バタコが自ら子供に勉強を教えるとケンカになるのでやめておきたい・・

**********************************************************************************

最後まで読んでいただいてありがとうございます!