見出し画像

詩に対する意識の変化

詩を読む時、つい意味ばかり追っていた気がする。だが、ある時パッと頭に降り注いだようにひらめいたのだ。言葉を大事にすると言われても、どうもピンとこない。それが言葉が浮き彫りにされて、いつもと違う響きに感じられた。言葉と言葉の間、行間の間、作者の息づかいが聞こえてきた。今までこのように詩を読んだことがない。頭の中で音読しているみたいだ。

すると、詩が今まで理解していたものと少し違ったものに見え始めた。つい昨日(2024年10月31日)のことなので、これからどう変わるかわからないが、記録としてX(旧ツイッター)にポストした拙作を載せておく。


セイヨウタンポポ

ふれる花びら
蕊の 奥に 奥に 水呑場があって
蜜は少し甘くて
もっとふれていたいけれど
これ以上は

瞼を 頬を 伝う なみだ
かなしくて泣いているのではありません
うれしくて
泣いているのです

セイヨウタンポポ

まだ 花が咲く 黄色い
わたしに残された道

神崎翔 @Shin99181905


私は自分らしい詩を書きたいと思っているのだが、ひらめいたものが自分らしくない詩を書かせてしまった。悔恨をエネルギーにした過去の出来事を語る詩も一段落して落ち着いたし、新たにスタートを切るいい機会であろう。一時的なマイブームで終わるかもしれないが、気づく前に書いた詩にも息づかいは感じ取れ、言葉も響いていたから、単なる詩に対する意識の変化かもしれない。


詩に対する意識の変化は、突然やってきては、やがて当たり前のこととして、心を動かすこともないだろう。またさらに新しく意識が変化する時がくるであろう。




いいなと思ったら応援しよう!