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病気と詩と『丁度よい』
私は精神病を19歳の時から患っている。現在も治療中だ。被害妄想と躁鬱の症状がある非定型精神病と呼ばれ、若い頃から苦しんできた。その損失は計り知れないが、それなりに趣味を楽しんだり、恋人と過ごしたり、結婚したり(離婚したが)、幸せに暮らしていたと思う。これは家族や周りの皆様のおかげで、心から感謝申し上げたい。
現在は症状も落ち着き、気分の高まりを抑えるように、薬を処方してもらっている。友人関係も断ち切ってしまい、詩に寄り添ってもらい、孤独に詩と付き合っているつもりだが、SNSと家族、デイケアの皆様やお医者様のおかげで、寂しさを感じずにいられる。ここでも心から「ありがとう」と申し上げたい。
私は2023年1月から本格的に詩を始めた。約2年しか経っていないことに驚く。あっという間だった。上に記したように私は精神病を患っている。今だから言えることなのだが、当時は過去を浄化できていなかったのだろう。書くことといったら過去の出来事ばかりだった。過去を嘆いてばかりいた。詩誌に取り上げられることもあったが、共感は得にくかった。詩を書いているうちに浄化されたのか、自己治療が功を奏したのか、過去を嘆くのは終わりにした。そんな時にSNSのあるフォロワー様に教えてもらった次の言葉がある。
丁度よい
お前はお前で丁度よい 顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 悲しみさえも 丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない 死ぬ月日さえも 丁度よい
仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない
丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
フラッシュバックしてつらい時には、よくこの「丁度よい」という言葉を自分に言い聞かせた。過去を思い出さなくなってからも、過去の出来事を書き続けたが、書き尽くしてからは、詩が変わった。今は日々の抒情を書いている。詩が病気の治療になるのかわからないが、主治医は「現代詩はいいからねえ」と言っている。
これからも人間として成長していきたい。その時、詩は助けてくれるだろうか。詩を愛せるだろうか。私はまだ成長の過程にいる。