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人生100年時代?――特攻隊と“死の先駆性”が投げかける真の問い

太平洋戦争末期、“特攻”という作戦で約3800名もの若者が出撃し、そのうち約2800名が帰らぬ人となりました。その重さゆえ、戦争史の中でも目を背けがちな分野ですが、その特攻隊員たちが遺した手紙や遺書には、切実な思いが詰まっています。
「母さん、今までありがとう」「母さん、ごめんなさい」――そんな叫びに真正面から向き合い、「もし明日死ぬとしたら?」と現代の私たちに突きつける本を書きました。本日はその本の紹介と執筆の裏側をお伝えします。


人生100年時代?

そう言われるようになって久しいですが、そこには大きな“前提の落とし穴”があるように感じます。

たしかに平均寿命は延び、医療も発達し、100年生きられる可能性は高まっています。しかし「いまは平和だしまだまだ長生きできそうだから」と先延ばしにしていることが、実は明日にでも崩れ去るかもしれないという問題はないでしょうか。

「100年生きる可能性」はあくまで確率論であり、明日を必ず約束されたものと考えるのは危ういかもしれません。それに確率は低くても、一度起きればそれは私たちからすべてを奪い去っていきます。事故や病気、災害など、人生を縮める不測の事態は起こりうるでしょう。

  • もし本当に100年生きられるとしても、後悔を先延ばししてよいのか?

  • あるいは、いつ訪れるとも知れない終わりに備え、いま何ができるのか?

人生100年時代という“恵まれた”発想に寄りかかるだけでなく、「もし明日が来なければ?」という問いをときどき思い出してみる。本書はその問いをあえて突きつけてみました。

なぜ“特攻隊”なのか?

本書が取り上げるのは、戦局が追い詰められた当時の日本軍が“最後の切り札”として用いた特攻作戦です(100年時代の話は全く出てきません……)そこで若い兵士たちは、出撃直前に家族や恋人へ宛てた手紙を残しています。そこには、

「みなさん、どうかお元気で。」
「母さん、もう一度だけ会いたかった」
という、痛切な言葉が並びます。

歴史の教科書では「特攻=国のために散った若者」と片づけられがちですが、この本では、彼らの“生への思い”や“家族を思う気持ち”を丁寧にひも解きます。戦争の悲惨さを糾弾するのではなく、むしろ「私たちは彼らの悲劇から、いまどんな学びを得られるか」に焦点を当てました。

執筆の裏話――書かなくてはいけない理由

実は筆者自身、はじめは「特攻隊を扱うのか……」という悩みがありました。まるで戦争の暗い部分をほじくり返すような行為。そして重いテーマ。「本当に私なんかが書けるのか?」とも思いました。もちろん世の中には特攻隊に関する書籍がたくさんあります。歴史的考察もしっかりしています。私は今まで、それらの本を手当たり次第に読んできました。まさに「右から左まで」読んできました。そして、本以外にも資料館、靖国神社もたびたび訪れてきました。

その結果、一つのことに気づきました。それは、
「特攻隊の真意に迫ろうとした著作は意外に少ない」ということ。
「英雄、犠牲者、美化、強制、志願。」といったテーマを話題にした本も多いです。もちろん、特攻隊の気持ちに寄り添った本もありました。でも何かが違う。もっと彼らの生き方、思いを知り、そこから私たちが学ぶべきことがたくさんあるのでは?と思ったことが私を執筆へと向かわせました。

「いつか死ぬ」ことは誰にも避けられないけれど、“強制”されるのとはまるで違う。それでも特攻隊員は、極限のなかで母や恋人を想い続けました。
そして、私は「これを単なる悲惨な歴史として終わらせたくない!」と強く思った次第です。それでは彼らの死が無駄になってしまう。だから、彼らが残してくれたものは一体何だったのだろうか?と必死に考えました。

「明日は当たり前に来ない」ということに気づくことで「私たちは変わる」ことができる

私たちの多くは、日々の仕事や家事に追われ、つい会いたい人がいても、やりたいことがあっても、「また今度」と先延ばしにしがち。しかし、特攻隊の“切羽詰まった死”を追体験するかのように読んでみると、

「今、行動しよう!」
という意識が自然に高まりました。“死”がリアルに迫るからこそ、“生”への渇望が見えてくる
――それが本書の大きなテーマでもあるのです。

もし明日死ぬとしたら……あなたは誰に会い、何をする?

たとえば本書では、こんな実践的アドバイスも載っています。

「週に一度、たった10分だけでいいから“もし明日死ぬとしたら?”と想定してみる。そのとき浮かんだやりたいこと、会いたい人をメモに書き出す。」

わずかな時間でも「死」を考えれば、自分が本当に大切に思っている相手や、後回しにしている夢が見えきます。これは特攻隊員が死の直前に手紙を書いた心理と通じるもの。人は死を意識するからこそ、「愛している」「ごめんなさい」「ありがとう」を伝えようとするのかもしれません。

まとめ――明日の“死”を意識すればあなたの“今日”が変わる。

2800名もの若者が散った特攻の史実は、一見すれば暗く重たいもの。けれど、そこからいまを生きるエネルギーを得ることができる。

「もし明日死ぬとしたら?」という問いは、平和な時代を生きる私たちの背中をそっと押してくれるはず。

「自分が本当に会いたい人は誰?」
「ずっと先延ばしにしている夢はない?」

そんなふうに考え始めた瞬間から、あなたの今日は確実に変わり出すはずです。

もし興味を持たれた方は、ぜひお読みください。明日が当たり前に続くわけではない、この現実を知ることであなたの「生きる力」はよりいっそう引き出されるはずです。

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