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プライドには覚悟が必要

誰しも人から批判されたり否定されたりするのは嫌だと思います。もちろん私も嫌です。一言で嫌と言っても様々な感情があります。ですので人それぞれで嫌という表現の仕方は違うわけです。
私はこういう批判をされたり否定をされることによる嫌と言うのは、その批判や否定をしてくる人に対して嫌だと言ってるのではなくて、


その批判や否定を言われてしまう自分に対して嫌だと思っています。


全てが全てではないですが、人から何か言われる時と言うのは、たいてい、人から見て自分はそう思われている訳です。不本意なことであっても、そう見られてしまっているのは事実な訳ですから、その指摘をされない努力をしたほうが良いと思ってます。あくまでも個人的な意見であって、私はこの方が楽だと思って勝手にやってるのですが、本当に面倒くさいと思うのは、


批判や否定されたことに対して、それを真に受けて感情的になる人です。


これって本当に面倒臭いんです。「誰かにこう言われた。こんなこと言われる筋合いはない」みたいなことを感情的になり、延々と訴えている人っていますよね。別に人の感情ですからどう思おうが良いんですけど、


否定や批判に対して、否定や批判で返して、何か起こるのでしょうか?


何か起こるとするならば、それは自分の感情を逆撫でするだけ。それ以外には何もポジティブなことは生まれることはなく、生まれるとするならば、言った相手に対する憎悪感だけです。その憎悪感が相手を見返す為に、自分の能力を上げることに力を注ぐのなら、まだ救いはあるのですが、


だいたいは、自分で自分をイライラさせているだけで終わるんです。


これが許されるのって学生時代だけだと思ってます。社会人になったとしても、人の否定や批判に対して感情的に受けているとするならば、それはもうプライドが高いとしか言えません。プライドを持つなとはいいません。そのプライドがプラスに働くのなら、大いに結構です。しかしそのプライドで何も変えること、変わることが出来ないとするならば、


そのプライドは完全にいらないプライドなんです。


人から批判や否定をされるのは、このいらないプライドが見えているから。本当のプライドは、そのプライドを守り続ける為に、必死で努力をしなければ守れないものです。自分のプライドの為に、必死で努力が出来ず、感情に左右されるとするならば、そんなプライドは邪魔になるだけで、そのプライドのおかげで、恰好なターゲットになるだけの話してす。


プライドを持つには、覚悟がいるんです。

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