認めざるを得ない強み
うちの母ちゃんというのは、息子の私から贔屓目無しで見ても、人として最低だと思っています。言ってはいけないことを平気で言いますし、この人は本当に仕事として介護をしているんだろうかと不思議になりますし、もし面接を私がしていたのであるならば、間違いなく採用はしないと自信を持って言えます。それくらい真面目に思っている次第です。
しかしながらそれは私の個人的な考え方でして、息子としては全く納得は言ってないのですが、
ものすごく人望は厚いわけです。
血の繋がりはあったとしても、私の基礎を作ってくれたのは家族ではありません。たくさんの大人の方にたくさんの考え方を教えてくださり、「自分のことは自分で考えて、自分で選んで、自分で責任を持て」という、なんとも無茶苦茶な方針の元で育ってきているので、親とはいえども基本的に考え方は違います。一緒にまともに生活をするようになったのは、私が40過ぎたあたりですので、
私には理解できないことばかりです。
まぁ、そんなことを言いましても80歳を過ぎた婆さんに、性格を変えろというのは無理な話です。なので私が引いていると言いますか、諦めていると言いますか、こっちが折れないと戦争になりかねませんので、そういった点では、
日常生活で自分を抑える鍛錬をさせてくれたのかなと感謝している次第です。
そんな無茶苦茶な人であっても、「これはすごいな」と思わせることもあります。おそらくこれが母ちゃんの実力でもあり、人が魅力に感じる源ではないかなと考えております。どういうわけか、母ちゃんは「人に何かを教える」という役割を与えられることが多いです。私もその役割をいただくことは多いのですが、だからこそ信じられない気持ちが強いわけです。あるきっかけがあり、以前、家にその子達が遊びに来ることになりました。別にそのことについてはなんの異論もないですし、
そもそもうちは人を干渉しない主義ですので、母ちゃんがどんな仕事をしているのも知りません。
その時、たまたま家にいたので、遊びに来た子達を見ました。そして違和感を感じました。不適切な言葉ですが、あえて違和感という言葉を使います。その子達は知的障害がある子達です。なぜ違和感と言ってるのかは、その子達に言ってるわけではなく、
なぜ母ちゃんと接点があるのかってことです。
その子達は母ちゃんを先生と呼びます。私の頭の中には「?」でいっぱいです。そして気付きます。母ちゃんが担っていたのは、この子達の教育なんです。しばらく見ていたのですが、そこで母ちゃんの実力を知ります。母ちゃんはもちろん人に指導する勉強なんてしておらず、ましてや障害者の勉強なんてしてません。指導の勉強をしている私には考えられないことをします。
本気で怒ってるんです。
母ちゃんにとっては、相手の状況なんてものはお構いなしなんです。母ちゃんから見ておかしいものはおかしい。これは変えないといけないことに対して、相手が分かる分からないではなく、本気で温度感を持って伝えてます。私がその子達に「いつもなの?」って聞くと、嬉しそうに「いつもでーす。」と答えます。「嫌じゃないの?」って聞くと、
普通に接してくれるから。
これが全てだなと思いました。母ちゃんには病気とか障害とか関係がないんです。同じ人として区別をしない。なかなかこれって出来ないことで、それを普通にやってのけるメンタルってすごいなと思うわけです。これが母ちゃんの武器であるし、
悔しいけど、これが魅力なんだなと思います。
仕事が変わっても、これは変わってはいないようで、あいも変わらずそれを発揮してるようです。