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なぜ「旅」をするのか?それは「違和感」と「不安定感」を感じたいから。

なぜ、自分は「旅」をするのか?

なぜ、自分は「旅」が好きなのか?

こんなふわっとしたテーマで、今回は書いてみる。


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自分にとっての「旅」は、「自由」というキーワードと強く結びついている。

「自由」のシンボルが「旅」であるともいえる。


自分の旅ブログ「Trip-Nomad」では、こんなサブタイトルをつけている。
「好きな時に好きな場所で好きなことをしよう!」
https://trip-nomad.com/

わかりやすい「自由」のイメージ。
解放感をまとっている。

今日書きたいのは、こういうわかりやすいラベリングのようなことではない。

「自由」という「感覚」の話。

つまり、どういう「感覚」のときに、「自由」を感じるのかということ。

結論をいうと、それは「違和感」と「不安定感」

「違和感」と「不安定感」を感じているときに、「自由」を感じているということ。

なので、「旅をする」ということは、「違和感」と「不安定感」を味わいに行くということでもある。


もう少しかみ砕いて書いていく。


「旅」や「自由」というのは、自分を縛っているものからの解放、逃亡、という意味を含む(個人の意見です)。

では、何が自分を縛っているのか、何から逃げたいのか。

それは、今の環境であったり、思考だったり、社会の常識だったり・・・

「逃げる」というと「悪いものから」というネガティブな起点を想像してしまうが、そうともいえない。

今の環境であったり、思考だったり、社会の常識だったりというのは、自分が今までの人生に積み上げてきたものであり、自分を守ってくれているものである。

つまり、自分にとって「安定感」を生み出してくれるものである。

「安定感」は、心に平穏をもたらす。

なので、普通はここから「逃げる」必要なんてないのだ。

ずっとその状態のままいていいし、「変化」する必要はないのだ。


だけどわたしは、この「安定感」というものに居心地の悪さを感じてしまうのだ。

「安定感」は、距離感がなく、動きや変化がなく、密着感がある。

身動きが取れなくなるような、澱がたまっていくような息苦しさを感じてしまうのだ。

「東京」というホームで生活を続けていると、生まれ育った「慣れ」や、生活の便利さにからめとられて、ついつい沈没していってしまう。


「旅」は、そうした「安定感」をなくしてくれる。

自分のまわりで「安定感」として存在し、自分を守ってくれていたものがなくなるのだ。

見たこともない景色、理解できない言葉、感じたことのないリズム、食べたことのない味、嗅いだことがない匂い・・・

すべてが「違和感」。

そして、ホームで自分を支えていた「安定感」はない。

つまり、それは「不安定感」。


それが心地よいのだ。

わたしは、この「違和感」と「不安定感」に「自由」を感じるのだ。

だからわたしは、「違和感」と「不安定感」を感じるため、味わうために、「旅」に出るのだ。


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LIFE is JOURNEY.
(「人生」は「旅」だ)

わたしの「人生」も、「旅」と深く結びついている。

「旅」に「不安定感」を求めているわたしは、「人生」にもそれが反映されている。

仕事は、以下のように変化している。
キャリアプランなどなく、行き当たりばったり。

・営業(日本)
・日本人向けホテルマネージメント(ロシア・モスクワ)
・飲食店シェフ・マネージメント(日本)
・テレビ関連のマスコミ(ロシア・モスクワ)
・ネットビジネス(日本・起業)

そして、バツイチ、賃貸住まい、貯蓄プランゼロ。

人生においても、安定感を感じない。
「不安定感」が安定しているというやつである。


「旅」や「自由」の感覚や定義は、今後も変わっていくだろう。

だけど今は、「違和感」と「不安定感」というキーワードがしっくりくるということで、ここに書きとどめておく。


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