かにゃぴー
わたしの飼い猫グレを保護した経緯と地域猫のことを書いていきます。
保護猫カフェ等の訪問記や記録したいことを書いていこうと思います。主な猫カフェは、にゃんだん邸、鎌倉ねこの間、他 です。掲載写真は猫カフェ様・里親様・預かり様など関係者様はご自由にお使いください。(PC版はDLできるようです)
わたしの身近な猫にまつわることを載せていきます。
8月も、また、1週間くらい通院して輸液となりました。。。 約二か月おきに毎日輸液が必要な状態となり、今回で3回目です。その間も、輸液こそしないまでも、数週間おきにしんどそうな状態になっていました。 今回もぜったいよくなる!そう信じて人間もがんばりました。 幸いだったのは、グレは貧血以外には肝臓も腎臓もわるくないということでした。そして量はすくないものの、食べることに貪欲というかおいしいものが好きな気持ちが強い子だったのも幸いです。 * * * 体調わるいストレス
2021.2.21に、極度の貧血状態と低体重で、猫エイズ発症していると診断され、1か月ももたないかもしれない、という診断がだされました。その翌日から、毎日プレドニンを投薬し、1か月おきに状態を検診に行きました。お薬のおかげで、わずかですが貧血の数値は上向きで、薬が効果をだしていることを確認し、このまま投薬を続けていくこととなりました。 調子のいいときは、一緒にリビングでテレビを見たり、力強く爪とぎをしたりしてくれることもありました。お外時代から、虫や鳥を追いかけたり、草で遊
ペット可の物件をさがして、世田谷区の某所に引っ越してきたわたしたち。 それから4か月後、グレの病気を皆様に報告した2021.2.22に、近くにプレミアムキャットフード専門店がオープンしました。 「ネコハウス222」さんです。 家からすぐ近くの距離にあって、マンションにチラシが入っていて知りました。ご自身も9匹の保護猫を飼っていらっしゃって、猫のことをよく知っているとのことで、オープンから2週間後くらいにうかがってみました。 フードの成分などを詳細に分析して表示してあり、すご
保護猫シェルターのネコリパブリックさんが、猫エイズの猫さんのことを「りんご猫」とよび、猫エイズの正しい知識の普及につとめるため、12月12日を「りんご猫の日」と提唱しているそうです。 グレぽんの「ぽん」は単に響きがかわいいのでいつからかそう呼んでいましたが、フランス語でリンゴという意味なので、それに掛ける意味でもぴったりだなと、呼び名が定着しました。 もうひとつ、気が付いてしまったことがあります。。。 母の命日は2013年の12月12日でした。。。 グレとおなじ自己免疫
猫エイズ(FIV)は自己免疫疾患で、通常は体を守る働きをする免疫機能が壊れてしまい、自己の細胞をこわすなどしてしまう病気です。唾液や交尾などでうつることはなく猫エイズの猫に皮膚を噛まれたときに感染するといわれています。猫エイズの猫とそうでない猫が同じ空間で共生していても、それだけでうつることはありません。ただ、「治療して治る」ということはなく、それが発症しないように極力ストレスを与えず、風邪などの体調の変化にも気を付けながら、見守っていくしかないものです。また、明確に「発症し
2020年11月7日、グレがうちに来てくれました。 「グレが、うちにいる。」 夢みたい・・・!! これからは、お外の危険や寒さからグレを守ってあげられる。グレをいじめてたメス猫のことも忘れさせてあげられる。 グレ。かわいいグレ。うちに来てくれてありがとう。 グレのペースで、のんびりゆっくり過ごしてね。 保護してからの1週間最初の1~2週間はケージ生活を考えていました。 グレは、私たちの声やにおいを覚えてくれていたのか、一定の距離を保っていれば、そこまでおびえた様子はあり
グレを保護した私たちは、事前に相談していた動物病院に直行し、ワクチン接種と血液検査、そして避妊手術を依頼しました。 「手術はするということでいいんですね?」と念をおされたのが、いまとなっては、重要な意味を持っていたかもしれないことが、その時は全く気が付かず、「はい、お願いします」と依頼しました。 朝9時前にグレを預け、15時くらいに迎えに行きました。 何かあれば連絡しますと言われていたのですが、なにも連絡がなかったので、ひとまず無事すんだということなんだろうと、心配と安心の
10月下旬に引っ越しをすませた私たちは、次の週末にグレを保護する計画をして、朝早く現地に行きました。 冬の足音が近づいていましたし、グレも目ヤニがたまっていて調子がわるそうで、グレの保護は急がれました。 住宅街ですので、捕獲機を置くにもいろいろ許可がいりますし、なにより臆病なグレが捕獲機に入る気はしませんでした。 だんにゃがチュールでキャリーの中にさそい、そのまま扉を閉めるというかたちで保護を計画しました。 わたしは離れた場所で、メス猫とその子猫の気をひき、グレのほうへ
物件探しに勤しんでいる中、また、出来事がありました。 前述したとおり、このあたりをまとめていたトラが亡くなってしまってから、なんともいえず秩序の保たれていない状態になってしまっていました。 トラは、別の場所のボス争いで負けて流れてきたと思われる、好き放題ふるまっているオス猫を気丈にとがめたり、どこからかやってきたメス猫にルールをおしえたり、本当にこの場所の主として、精いっぱいの働きをしてくれていました。 でも、トラの後を継ぐような気質の子は、いなかったので、まとまりのない
グレとの生活のため、物件を探す日々が続きました。 毎日毎日、物件を検索したり、不動産屋さんに連絡を取ったり。。。 ただ、一つ決めていたのは、妥協はしないこと。 人間が「住みづらい」と感じるところに住んでしまって精神的にストレスを感じてしまっては、猫さんとの幸せな生活が送れない、とおもっていたので、本当に「ここがいい」と思う物件をみつけるまで探そうと思っていました。 しかしそれは思ったより長丁場になってしまいました。 いくつか、いいとおもったところがあっても審査で落ちてしま
ここで、わたしや、私の家族や親せきなど含め、猫とどんなふうにかかわってきたかを書いてみたいと思います。といってもそんな大それたことではありませんので気軽に読んでください。 わたしの家族は東京の下町に江戸末期くらいから住み続けている、いわゆる江戸っ子です(笑) 飼い猫がいたかどうかは、祖父母の時代からしか聞いていませんが、猫や犬は、いつも、家にいました。私が子供の頃までは、近所にもたくさんの猫がいました。実家も木造でいつも縁側のガラス戸や勝手口が開いていて、庭の塀を乗り越えれ
引っ越しを決意するまでの地域猫さんとの出来事を書いてきましたが、お外時代のグレがどんな様子だったかを、書いておきたいと思います。 グレとの出会いから、ペット可物件へ引っ越してグレを保護するまではおよそ4年半。最初の1~2年はたまーに姿を見るくらいでしたが、その後2年くらいはほぼ毎朝、毎夕、出てきてくれて、見守っていました。基本的にだんにゃが面倒をみていて、雨の日も雪の日も、だんにゃは自分が熱を出した日もグレとトラとクロの面倒だけは欠かさずみていて、出てこない日は心配で、出てく
グレを保護した経緯からすこし話がそれたように感じられるかもしれませんが、わたしにとって、これは全部一連の、ひとつながりのできごとです。そして、それは、けっして楽しい話ではありません。つらすぎることの連続でした。思い出すだけでつらく、いままで、無意識的に、あまり思い出さないようにしてきたのかもしれません。今回、これを書いていて、いろいろな記憶が思い出されて、なんとも言えない感情が沸き上がってきて、はきそうになりました。人知れず生まれ、懸命に生きて、それきり会えなくなった子、亡く
うちの猫さんもFIV(猫エイズ) 突然ですが、わたしがお外から保護(2020.11)して一緒に生活しているグレは猫エイズ(FIV)陽性で、保護した当初から極度の貧血、4歳なのに体重2.2kg、先生からは発症しているとみて間違いない、と言われてきました。数週間おきになにも食べずぐったりし、そのたびにこれが最後なのかとおびえながらわらをもすがる思いで毎日通院して点滴、朝起きてグレが息をしているか確かめるという辛い日々が続きました…。しかしなんとか回復し、保護当初は一か月ももたな
前回ご訪問した、たまプラの保護猫カフェ「キズナ」のもうひとつのカフェに行ってきました!おととし(2020年秋)オープンの、「ムスビ」です! サイトで拝見したときは生活介護施設の…とあったので、一般的な猫カフェと違うのかな?と、行く勇気をだすまでにすこし時間がかかったのですが、キズナのスタッフさんに聞いて、普通にだれでも行けるということで行ってきました!! 南武線「稲田堤」から歩いて5分くらいの、駅前メイン通りからすこし左に入った庶民的な商店街の1階にあり、アクセスしやすいと
田園都市線たまプラーザ南口から徒歩3分、キレイで落ち着く保護猫カフェにうかがってきました。 保育園等を経営するオーナー様が、「子どもからシニア、障がい者、あらゆる人々が集い交流するあたりまえの風景を」(HPより引用)というコンセプトで建てられた施設で、犬・猫や爬虫類とのふれあい、生活介護やワークショップを行えるカフェスペースも併設された一軒家風の建物。 保護猫カフェスペースは、譲渡希望者はもちろん猫と触れ合いたいと思う誰にでも開放されているとのことで、遊びに行ってきました!