シドニー海外初出展珍道紀 01.宿がない
お誘いは見知らぬ先からの1本のメール
2012年の年始だったか前年の年末だっただろうか?
突然、1本のメールが入った。「こちらはオーストラリアで日本人アーティストを紹介することをメインにしております。シドニーで猫展を開催するのであなたも出展しませんか?」的な内容だった。
関西の有名ラジオ局 FM802 [digmeout]というアートプログラムがある。[digmeout]とは[私を探して!]を意味する。
2011年ソニービルカバーコンテスト応募作品
この新人発掘プロジェクトも兼ねた[digmeout]が2011年にソニービルのカバーイラストのコンテストを開催していた。そのコンテストに参加するため、いくつかの作品を[digmeout]のサイトに投稿していたんです。
(今は登録アーティストのみ掲載)
ソニービルのコンテストは、残念ながら落選してたので、投稿してたこともすっかり忘れてたんです。そんな頃に、シドニーのキュレーターさん(ギャラリーにイベントを企画したり、アーティストを紹介するお仕事)がそのサイトから猫作家を探してご連絡いただいてたようです。
私としては初の海外出展。しかも見知らぬ相手からのお誘い。
しかし、文面をみる限り、私の作品をきちんと観ていただいてる感。
出展料は国内のアートフェス2-3日間分ぐらいで手が届く。
国内のアートフェスに2−3日出すより、国外のギャラリーで2週間展示の方が凄くない!?しかも、シドニーフリンジというシドニーあげてのアートイベントになってるし、しかもシドニーヴィエンナーレ開催と同時期!
にわかには信じがたい。しかし、出してみたい!
てか、出すんなら行ってみたい!
そうやん!行ってみれば、騙されてるんか本当なんかわかるやん!
だーす!そして、行っちゃう! いざ、シドニー!!
ってことで、お金に余裕はないけれど
ギリギリ可能なら挑戦してみたい。
ひとまず、申込、渡航費を稼ぐため、短期で派遣デザイナーに復活し、
1−2ヶ月の給料全部注ぎ込めばなんとかなる!
ってことで、初の海外ひとり旅、しかも出展旅行を決めたのでした。
災害は突如としてやってくる
当初上記の写真の Me & ART さんという可愛らしいギャラリーさんで開催の予定でした。しかし、この年の2月から3月にかけてシドニーを中心にNSW州全体が大雨・強風の被害にあいました。開催予定地のギャラリーも被害に遭い、修復工事を開催の9月を目指して行ってはおりましたが、キュレーターさんの判断で4月に別の被害のなかったTAPギャラリーへ変更となりました。
トラックパッド職人
その頃、私は印刷会社で短期の派遣デザイナーで久々の会社出勤をして渡航費を稼いでおりました。高校や大学の新入学ガイダンスやら学校や会社のアルバムデザイン、医療系学会のポスターなどなどザックザック飛んでくる仕事をバッタバッタとこなしておりました。
「投げたら全部やってくれる!ドンドン出来上がる!最高!」
今までほぼひとりで作業をしていた上司は、私が来た事で仕事を回せるのがとても楽しかったようでした。
3ヶ月しか働かない私のために新しいノートパソコン(MacBookPro レティーナ?やったかな?)まで購入してくれました。
上司「マウスどれが良い?」と訊かれたので、
私「え?いらないですよ。ノートならトラックパッドあるし。」
上司「え!? マウスいらんの?トラックパッドだけは無理やろ?」
私「今はデスクトップやからマウスでやってますけど、家ではMacBookProなんでトラックパッドだけで、絵も全部書いてますよ。」
上司「え!? ほんまに?ホンマにマウスいらんの?注文せんでええの?」
私「はい。大丈夫です。」
newパソが届いてから、上司は私の作業をわざわざ覗きにやってきました。
上司「うわあ!ホンマにトラックパッドだけでやってるぅ!気持ちわるぅ!」
コラ!最後だけは余計やろ!と心の中で呟きながら、ウキウキで新しいパソで残業も引き受け仕事をする日々。夏には作品を創らねば!
普通のアルバイトに比べたら、多少良い時給ではありますが、製作費、運送費、渡航費、宿代、そして日々の生活代。かなり切り詰めないと3ヶ月では割とギリギリです。でも、行くのです。絶対に行くのです。
作品の手配もギリギリだ!やっぱ手持ちしかない!
この時の作品は、まだパソコンで描くグラフィックでした。だから、どんな風に出力したらインパクトがあるのかな?と悩んだ結果、キュレーターさんとも相談して、タペストリーにする事にしたんです。でもね!今度はどこで出力するか、予算はどれぐらいかかるのか、名一杯の大きさにしたいし。。。とウニャウニャしてたら出発する前日に受け取ることになったんですよねー。あはは。
さあ!最後の給料がでたし、旅の手配だ!
呑気すぎると言われるかもしれないけれど、旅立つ1週間ほど前からようやく宿やら飛行機やらを探し出す。
いっぱい調べて比較して、ようやく申し込もうとしたら、シドニーの宿はクレカがないと予約できないらしい。探しても探してもカードなしで取れる宿がなかった。その時の私はデビットカードすら持ってなかった。
ひとまず飛行機だけは振り込みで取れた!
もう、宿は行ってからなんとかしよう!
ゲストハウスの大体の予算を見て1週間分ほどのお金を持って旅立った。
シドニー到着できただけでも奇跡
関空では乗り換えのチケット一つ忘れられてて、後から窓口の人が慌てて待合室までチケット持ってきてくれた。
なんとかなったけど、なかったら、トランジットまでしか行けなかったやん!と思ってたら、今度は、トランジットの降り場案内人が乗り継ぎ用出口ではなく、入国の出口と間違えてて、さっきの〇〇便のシドニー行きの方もう1回集まってー!とかいうてくるし、Jet●tarさん適当すぎ!
しかし、どうにかこうにかシドニー到着!
よくぞ、無事やった私!シドニー着くだけでこんなに大変とは。。。
ギャラリー搬入後リーマンに呼び止められる
ギャラリーに作品搬入後、キュレーターさんに宿情報を聞いてみる。
「えー!宿取らずにきたの?そんな無茶する子初めてやわ。僕この辺に住んでるからホテル泊まることないからわからないわー。」
と散々驚かれた後に「宿探してます」と英語で書いたメモを渡された。
「これ持って、大通りまで出て、タクシー捕まえて宿あるとこ連れってってもらいなさい。」「何かあったら電話してきたらいいから。」
キュレーターさんに聞いたらなんとかなるだろうと思ってたので、内心かなりガッカリしながらひとまず大荷物をゴロゴロしながら大通りまで出た。
ギャラリーから大通りまで5分もかからない。
その瞬間、見知らぬシドニーのリーマンに呼び止められた。
「君が探しに行こうとしてるゲストハウスのあるエリアはスラム街なんだ!君なんかがいっちゃいけないとても危険な場所なんだ!」と力説された。
そこが割と危険な地域である事は、一応学習済みだった。だから、そこへ行くつもりではなかったし、そのスラム街まあまあここから遠いし…と思いつつも英語にできずにポカンとしていた。
そこへ今度はリーマンの知り合いのおばさんが通りがかった。
リーマンはおばさんを呼び止め事情を説明。
「一人で宿探ししたら、どこに行くか分からないから危険だから付き添ってやってくれ!僕はまだ仕事中だから付き添ってあげれないから頼むよ」
おばさんは「よっしゃ!任せときー👍」的なたくましいうなずきをみせてた。
「何かあったら、いつでも電話してきなさい!」とまたまた電話のメモをいただいた。でも、私、英語で電話なんて無理だよな。。。とか思いつつ。
おばさんとホテル探し
見知らぬ親切なリーマンの指示により、私はそのおばさんに連れられホテル探しスタート!
1軒1軒ドアを叩いて泊まれる部屋がないかを聞いて回る。そのホテルが安全か安全な町にあるかの判断はおばさまに委ね、5−6軒回ったところで空き部屋のあるホテルが見つかり、おばさんが安心した顔で去ってく。
着いた先は、割と綺麗なホテル。
ホテルじゃなくてゲストハウスで
もうおばさんは去っていってしまった。
しかし、元々ゲストハウスに泊まるつもりだった私。こんなホテルの宿泊料持ってない!フロントマンに宿代を尋ねる。私の持ち金では1泊が限界、しかし私の滞在期間は1週間もある。全然足りない。
正直に払えないことをリアルに伝える。すると、彼がパソコンでゲストハウスのページを見せてくる。「ここの宿泊費ならどうだ?」なんとか払えそう!「では、暫くその場で待ってなさい。案内するから!」
その場で私もパソしながら待つ事1時間ちょっと。全ての荷物をフロントの彼が運んでくれゲストハウスに案内された。受付が少し困り顔になってしまった。やはりここでもクレカが必要なんだそうだ。
スッと、さっきの彼が現れ、どうした?とスタッフにたずね、クレカなしでも無理矢理OKにしてくれた。そして、英語が不得意な私のために日本人スタッフを紹介してくれた。
「君と同じような背格好だよ。困ったことがあったら彼女に相談するといい。」
その日本人スタッフの女性と同じ部屋にしてくれてた。彼女に聞いたら、そのフロントマンはホテルとゲストハウスのオーナーでした。
ミラクルに神がかった親切な人々の連鎖で、
私は無事1週間シドニーに宿泊できました。
オーナーはとてもクレバーで親切な中国人の方でした。
この年、実は中国では反日デモが行われてる最中でした。
私が、シドニーに到着したのが2012年9月10日。
そこから1週間とても親切に不便がないよう
優しくサポートしてくださいました。
中国における反日活動は、ふつふつと既に起こっており、尖閣諸島国有化以降の9月15日から一気に大規模化した世界情勢がありました。
元々シドニーは親日な土地柄ですが、タイミング的には親日感が薄れ反日感情が高ぶる世界情勢の中、漫画みたいに奇跡的に守られてるような感覚がありました。
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