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【エッセイ】捜神記私抄 その十
古代中国の占い師たち・淳于智の場合
48歳で病死してしまった管輅……彼以外の占い師たちは、長生きどころか仙人や道士のように驚異的な不老長寿を保つことによって、果たして私たち庶民の中に潜在する《霊験あらたかな人物が現に存在して救って下さる願望》を満たしてくれたのだろうか?
先ずは彼らの活躍ぶりを見てみよう。『捜神記』三巻の各説話は大体、怪異や病気など不幸に悩んでいる人が占い師に相談する→占い師は一見不幸とは関係のないような奇妙なアドバイスをする→アドバイスに従うと不幸の原因が消失する→一件落着メデタシメデタシというようなシンプルな流れである。
例を挙げる。
淳于智は山東省の人である。生まれつき寡黙なたちで、考えには筋道が立っていた。若い頃から、学者となり、占いに通じ、まじないを得意としていた。
山東省の劉柔という人が、夜寝ているうちにネズミに左手の中指を齧られてしまった。どうにも気色が悪く、淳于智に尋ねみると、彼は筮竹を数えて曰く、「ネズミはあなたを殺そうとしたのだが、果たせなかったのだ。今度来たら帰り討ちにしてやろう」
それから、劉柔の手首に朱で「田」の字を書いた。
「今夜はこの手首をむき出しにして寝なさい」
言われた通りにすると、果たして翌朝、枕元に大きなネズミの死骸が転がっていたのである。メデタシメデタシ。
ネズミに齧られたら、占い師に相談するより先にやることがありそうだけれど……。
山西省の鮑瑗の家は、家族が次々と亡くなったり、病気になったりした上に、貧苦にあえいでいた。そこで淳于智に占ってもらうと、
「あなたの住んでる家が不吉だから、こういうことになる。これからすぐに町へ行って、木戸を入って数十歩行くと馬のムチを売ってる店があるから、新品を買いなさい。それをお宅の東北の方角にある大きな桑の木に掛けておきなさい。三年後に財産が転がり込んでくるから」
言われた通りにしてから三年後、井戸がえの時に穴を掘っていると、果たして数十万貫の銭と、銅器や鉄器が二万点あまり出てきた。それからというもの、商売は繁盛し、病人たちも次々と健康を回復したのであった。メデタシメデタシ。
ムチ屋からマージンを取っていたことは間違いないであろう。
安徽省の夏侯藻という人が、母が重い病にかかったため、淳于智のところへ占いに出かけようとしたところ、突然一匹のキツネが門前に現れて、家の方へ向かって鳴いたという。
淳于智先生曰く、「禍いが迫っておる。すぐに家に帰って、キツネが鳴いていたところで胸を叩いて泣きなされ。お宅の人々を怪しませて、年寄りも若い者も一人残らず外へ出させるのじゃ。そうすれば災難を避けることができるであろう」
言われた通りにすると、母親まで重い病をおして出てきたところで、間口五間の屋敷ががらがらと音を立てて崩れ落ちた。全員が助かったのである。メデタシメデタシ。
しかし実のところ、キツネが鳴いたことと家屋の倒壊に何の因果関係も見られない。人為的な破壊だった可能性がある。それに母の病が治ったとは一言も書かれていない。
軍長官の張劭は母が重病になったので、淳于智に占ってもらった。曰く、「西方へ行ってサルを買い求め、母の腕につないで、始終叩いて、鳴き続けさせ、三日経ったら放してやるように」言われたとおりにすると、放たれたサルは門を走り出たところで、たちまち犬に噛み殺されてしまった。そうして、母の病気はけろりと治ったのであった。メデタシメデタシ。
なにこの話? サルの死と母の快癒との因果関係の有無以前に、とんでもない動物虐待だろ。
さて、こんな風に大活躍(?)した淳于智は、西晋の第二代皇帝・恵帝の朝廷で権臣であった楊駿に取り立てられた。Wikipediaによれば、暗愚であり、専横を極めて中央・地方を問わず多くの官僚から忌み嫌われた人物とある。おやおや、そんな人に仕えて大丈夫ですか? 果たして、楊駿が皇后の罠にハマり、謀反の濡れ衣を着せられた時、楊の味方をする者は残されておらず、逃げた先の馬小屋で惨殺された。そして、巻き添えを食らった淳于智も処刑されてしまったという(291年)。
あなた占い師でしょう、こんなことになる前に、親分のことを占ったりしなかったのですか? いや、占えと命じられたこともなかったのですか? ……ネズミやキツネ、サルのことなんかより、そっちの方がよっぽど重要じゃないですかね。
ちっともめでたくない。それどころか、申し訳ないけれど、ざまあねえ!のである。
(続く)