俺たち、縄文人 #07
天から人が降りて来た!の巻
縄文村の嫌われ者、コージーさんは二十を過ぎて未だに親と同居しているから、今なら子ども部屋おじさんとでも呼ばれることであろうが、竪穴住居には内側に仕切りがなく、子ども部屋もないものだから、ただナッツ潰しと言われている。穀潰しの縄文版である。ある晩というか未明、いつものようにあられもなくイビキをかく老いた二親の間で眠っていた彼は、ふと尿意を覚え目が覚めた。
昨日は、縄文ボーイズのハクとゲンダの二人と酒盛りしてというか、無理矢理二人の間に割って入り呑みすぎたようで、激しい頭痛がする。
のっそり起き出して裏林までゆくと、草木も眠る丑三つ時とはいうものの(この時代にはない表現であるが)、叢では秋の虫が合唱している。金色に輝くほとんど欠けるところのない月を見上げながら用を足す。湯気が立ち昇って、ぶるっと震えがきた。
月は月であって、月以外のものではない。それはわかっているけれど、そもそも月って何だよ。ん? ちょっと待てよ。金色の光が滲み、盆から溢れ出ようとしているように見える。ゆらゆら、ゆらゆら揺れながら、なんだかこちらへ近づいてくるような……。
呆気にとられてぽかんと口を開けて見上げているうちに、円盤は頭上に到達し、そこから裸木の天を指す枝々の間に光の柱がまっすぐに射す。そして、その円柱の中を奇妙な人間がゆっくりと降りてくるではないか。
登頂部に簪をさすか、冠を被るかして、大きな目はあたかもレンズの真ん中に横線の入った眼鏡をかけているかのよう、幅広の丈の短いスカートを履いた不恰好な人物である。
すわ月の住人か! それとも、天界人なのか! さながら昆虫のような顔をしていると思ったのは、大きな眼鏡のレンズ(様のもの)が複眼のようで、その間にある模様が単眼を思わせるからである。
コージーさんは、意識を失った。
*
そもそもコージーさんは話がひたすら長く、オチもなく、息をするように嘘をつくことで知られている。だから、天界人を見たと言っても、信じる者はひとりもいない。「聞いてくれよ!」と話しかければかけるほど、人々は遠ざかってゆくのである。
山でクマを見たとか、オオカミが来たなどと嘘をついて、子どもの頃からすでにして信用を失っている。父親が大切にしている山桜の樹を石斧で伐り倒したときも、目撃者があり(西の村のユウという少年)、動機もあり(新しい石斧の切れ味を試したかった)、状況証拠もあり(家に桜の枝を飾っていた)、物証まで出てきたのに(桜の幹にあった傷跡とコージーさんの石斧の刃が一致)、斧には指一本触れていないと強弁を張る。
そこでハクの出番である。指の腹にある渦巻き状の紋様はヒトそれぞれであることに気づいたハクは、斧の柄にコージーさんの指の紋様がべったりと付着しているのを発見し、見事に嘘を暴いたのであった。
通行人を捕まえては、「聞いてくれよー、昨日の夜、月の光から人がするすると降りてきてよー」などと話しかけては、気味悪がられているコージーさんを、こっそり観察しながら、クスクス笑っている二人がいる。ハクとゲンダだ。
話は昨日に遡る。今どきの縄文ガールズのカロリン、ナミ、エリの三人と河原でサケの炙りを肴にヤマブドウのワインを呑んでいたら、呼ばれもしないのにひょろりとしたコージーさんがふらりふらりと風に吹かれるがままにやって来て、招かれもしないのに手頃な丸石にすとん腰掛けた。
「昨日、変な夢を見てねー。それがおかしくてさー」などとこちらの会話も構わず、訊かれもしないのにまさかの自分の夢話をつらつら始めたものだから、ガールズたちはサッと立ち上がりお尻を払って、「じゃあね、ご馳走さま!」「バ〜イ!」と立ち去ってしまったのだ。残されたハクとゲンダの二人は、オチのない夢の話を延々と日の暮れるまで聞かされるハメになった。
どーするよ、これ? と二人は見交わしたが、そのときゲンダの頭に閃くものがあり、懐から取り出したるはいつぞやの魔法茸を乾燥させたのである。ゲンダは悪戯っぽくニヤッと笑い、ハクは呆れて天を仰いだ。
そこで話は現在に戻る。
コージー「な〜ハク、ゲンダ、聞いてくれよ〜」
ゲンダ、微笑みながら「ハイハイ」
コージー「深夜にさ、ションベンに起きて裏の林に行ったらさ、月がさ、満月がゆらゆらと近づいてきて……」
ハク「近づいてきて?」
コージー「そしたらさ、サーッと光が射して、なんとその中を人がするすると降りきたんだよ!」
ゲンダ「ハイハイ」
コージー「ありゃ、月の住人だよ、絶対に」
ゲンダ「ハイハイ」
コージー「いや、さっきからハイハイって、そんな簡単に聞き流すなよ! これって凄いことなんだから。俺ってば、月の住人とファーストコンタクト? サイン欲しくない?」
ハク「うーん何を見たにせよ、それが月の住民というのなら、証拠がないとね。酔っ払ってたし、エテ公とでも見間違えたんじゃない? エテ公……エテ……エーテー……とりあえずエーテーとでも呼んだら」
ゲンダ「エーテーが地上に降りてきて、どうなったの? コンタクトって? それから、どーしたの?」
コージー「えーーーーっと。……攻撃してきた。それで逃げた」
ハク「今度は戦争か!」
ゲンダ「攻撃って? どうやって? でもおかしいな、ここに無事にいるってことは逃げ切ったってこと? じゃあ、エーテーは?」
コージーさん「月に帰りました……たぶん」
やっぱりコージーさんの話にはオチがない。
三人は西の村のゴロさんの土器・土偶工房までテクテク歩いた。コージーさんが見たものが一体なんだったのか、粘土細工で決着をつけようというのである。
しかし、何をやっても半人前のコージーさんは粘土も満足に捏ねることができず、仕上がりは歪な塊でしかなく、結局はハクとゲンダが手伝うことになり、あーでもないこーでもないとゴロさんも口を出し、薪を焚べて野焼きにするとその仕上がりは、
ゴロ「なんじゃこりゃ」
コージー「そうそう、こんな感じ、こんな感じ」
ゲンダ「どうもエテ公というよりは、昆虫ぽいな」
ハク「月の住人なんてロマンはちっともないね。……あれ、よく見るとゲンダに似てなくね? なんか冷めるわー」
ゲンダ「え? でも俺、こんなに目が大きくないし」
コージー「あ、そーいえば!」
ゴロ「でも寸胴で短足、ちっちゃい手が両脇に不恰好についてるところなんかソックリだな」
ゲンダ「いや、ゴロさんまで、どさくさに紛れて何言ってんすか。俺が傷つかないとでも?」
話は又、昨夜まで遡る。呑みすぎて尿意を催し目が覚めたゲンダは、裏林で月明かりのもと立ちションベンをしていた。ふと足音が聞こえて振り返ると、コージーさんが真っ青な顔をして震える指先でこちらを差し、それから泡を吹いて昏倒したのである。
「あれ? ん? なんで?」
自分の顔を撫でてみると、なぜか秋の大感謝祭で用いる土面を被ったまま寝込んでしまったらしい。
あ、エーテーって、俺のことだったのか、今更ながら気づいたものだ。魔法茸、あんまり関係なかったじゃん。
*
満月を見上げながら、ハクは大きなため息をついた。
「なんか毎日毎日があっという間に過ぎてゆくなー。こんな風に変わり映えもなく日々は過ぎて、いつしか大人になって歳くって、そして死んでゆくのかなー」
「おいおい、なんだよ、いきなり重いな」とゲンダ。「ま、大人になれず、コージーさんみたくなって、それでそのまま日常が延々と続いてゆくのかもな」
月光に向かって並んで座った二人の姿はシルエットになっている。
「月にも人が住んでいて、それでこっちを見下ろしながら、あそこにも人が住んでいるのかなあって思っていたりして」
「毎日変わり映えしないなあって考えてるかもしれないね。でも、月から落っこちちゃうんじゃないかな」
「俺たちの村に? いや、そこは引っ張る力があるから」
「明日……」
「ん?」
「明日の今頃、俺たちはどこにいるんだろう?」
ハクは思わず吹きだした。「柄にもないこと言うなよ。明日も、明後日もこの村にいるよ」
「お前が言うところの引っ張る力に繋ぎ止められてか?」
「そうね、時々思うんだ、一年後、十年後、五十年後、どうなってるかなって」
「もっと先は?」
「百年後、千年後、そして、一万年後……」
「俺たちが生きていた証なんて、何にも残らないんだろうなあ」
それからおよそ一万年の歳月が流れた。
河岸段丘の森に囲まれた遺跡発掘現場は、ショベルカーで掘り返され、土が赤剥けになっている。あちこちに散らばりヘルメットを被った作業員たちが、手ガリを使って慎重にその大地を掻いてゆくのである。
「あっ! 教授、何か出ました!」
老考古学者が声のした方へと駆けてゆく。
「ふーむ。君、慎重にな、慎重に」
「これは……土偶ですね。欠けたところもない」
「なんと! 見たまえ、いかにも奇妙な顔をしているじゃないか。目がやたら大きくて、真ん中に横線が入って、まるで遮光器をかけているみたいな」
「そうですかー。ぼくには昆虫か、エイリアンみたいに見えますね。ひょっとしたら、縄文時代にファーストコンタクトがあったりして」
「浅はかなことを言うもんじゃない、君! いくらなんでも縄文人へのリスペクトが足りないんじゃないかね」
(了)