俺たち、縄文人 #01
イントロダクション!の巻
「一体いつまで寝てるつもりなんだい? もうお日様は高いよ」と、母ちゃんが言った。
「うーん、もうちょっとだけ」ハクは寝床から答えた。
「もうみんな、とっくに採集や狩猟に出かけたよ。とっとと起きなさい!」
そう言って母ちゃんがハクの背を蹴ったので、寝床から転がり出した。
「あー、もー、わかったよ。だりーな」ピン立ち上がった寝癖のある剛い頭髪を掻きながら立ち上がった、ハクの股間もまたピンと立ち上がっていて、「顔、洗ってくるわ」と慌てて飛び出す。
その息子のほっそりとした後ろ姿を見送りながら、「やれやれ、父ちゃんが見たら、何と言うことだろうねえ」と肩をすくめて、母は大きなため息をついた。夫が生きていれば、何もかもちがったのだろうか。
素晴らしく澄み渡った青空だ。すでにして日が高く、薄暗い竪穴式住居から外に出た、二日酔い気味のハクの眼に陽射しが突き刺さる。昨夜はヤマブドウとキイチゴの果実酒をちゃんぽんで飲み過ぎてしまった。
ギザギザ山脈に源流を持つハバヒロ河の支流ノドカ川が削り取った高台に彼らの集落があった。中央に集会や儀式に使われる円形広場を挟んで、東村と西村に別れる。
少年の名は東村ハクという。幼い頃に父を亡くして、シングルマザーのサキが女手ひとつで育て上げた。体はひょろ長く、少し猫背気味であった。16歳、成人式の抜歯は済んでいるからもう子どもではなく、かといって一人前の大人でもない、なんというか、まあ、難しい年の頃ではある。本来なら、村の屈強な男たちの狩猟に加わっていても良い時期でもあるのだが。「どーせ、俺なんて」が口癖のティーンエイジャーである。
裏の林で用を足すと、ノドカ川の岸辺まで下りて光の反射に目を細め、きらめく冷たい流れで顔と手を洗った。下手で洗濯している村のおばさんたちが、ハクの方を見て何か囁き合っている。採集に行っている嫁に代わって子どもの面倒をみている高齢の女たち。どうせ、こんな時間に起き出して、ぶらぶらして、なんて噂しているんだろう。
ちぇっ。今から採集にでも混ぜてもらうか。
円形広場へ向けて歩いていると、棒切れを持った子どもたちが追っかけっこしながら、ハクを追い越していった。
「おーい! ハク、こっちこっち!」
広場の切り株にどっしりと腰掛けていた、悪友のゲンタが大きく手を振った。
「なんだ、お前か」
「おいおい、親友をつかまえて、なんだお前か、はないだろう」
「こんな時間からぶらぶらして」
「いや、お前には、お前だけには言われたくないよ」
「いい歳して、狩猟にも加わらず、かといって女子どもと採集にも行かないとはね。とんだナッツ潰しだ」
田畑のない時代で、穀は主食ではなかったのである。
「言ってて、虚しくなんね?」ゲンダは大きくため息をついた。「それより西村のゴロの工房へ行かないか? すっげえ、話題になってんだぜ」
「何が?」
「行けば、わかるって!」
西村ゴロはかつて狩猟中に猪に攻撃され、左足を骨折して以来、もっぱら土器作りに励んでいるまだ若い男だ。
西の村への短い登り道ですら、ぽっちゃり系のゲンダは息を切らせてしまう。この肉体的なハンディキャップが、村に於ける彼の立場を決定づけていた。
学校も試験も、スクールカーストどころか経済格差もない時代だったが、やはり思春期は悩ましいものだったのである。
「なー、俺、思うんだけどさ、体力がないとか、父親がいないってのは、本人の責任じゃないよな」ハクが言った。
「なんだよ、いきなり」
「人生はそもそも公平じゃないってことさ」
「そんなことに一々クヨクヨしてられるかってよ」
ハクは立ち止まって、遅れてついてくる親友の汗まみれの、とても女の子たちに好かれそうにない面をじーっと見つめた。
「何、お前、努力すれば夢は叶うとか思ってんの? ポジティブだなあ」
「いやあ、そんな面と向かって褒められると」
「皮肉も通じないのかよ!」
土器の工房といっても、普通の竪穴式住居と何ら変わらない。
「ごめんよ」と二人が中に入ると、ゴロは筵に胡座をかいて、平たい石の上の粘土をこねくり回していた。眼光鋭く、意志の強そうな口元はへの字に曲げられ、がっしりしたアゴの先は割れている。閑を持て余した年嵩の女たちがゴロを取り巻いて、彼の細くしなやかな指が魔法のように次から次へと生み出す渦巻き模様に魅入られている。
「すっげー!」とゲンダが言った。「もはや、何というか、実用性を超えているよ。イカしてるぜ」
「実用を超えたところに果たして美はあるだろうか。華美な装飾性が鼻につく」
「いや、お前って、ほんとひねくれてるな。見てみろよ、あの把手のところなんて、まるで燃え盛る炎のようで、凄い技術だ。かつて見たこともないアイデアじゃないか。もうゴロさんは、なんだな、狩猟はできないけど、この技術だけで誇りを持って生きていけるな。ほら、みんな尊敬の眼差しで見ているよ。うまい言葉が思いつかないけど、なんだ、ほら、単なる深鉢というのと違うしな、つまり、実用性を超えてるわけだから。実用品でも、技術品でもない、何か全く新しいものの誕生に立ち会っているような気が、俺はしているよ!」
「呆れたね、すぐ感化されちまうんだから。土器は所詮土器だろ、煮炊きできりゃそれでいいんだよ。模様を入れたり、炎の飾りを付けたりする必要はどこにもないよ」
「そこの君たち!」ギロリとゴロがこちらを睨んだ。「静かにしてくれんかね。気が散るだろ」
「すいません」とゲンダ。
ハクはちぇっと小さく舌打ちすると、立ち上がった。「もう行こうぜ」
そのとき足元にあった試作品の一つに躓くと、それはコロコロと作者の方へと転がっていった。そして、まだ乾いてもおらず、火を入れてもいないから、筵の上を転がると、滑らかな表面に縄の編み目がくっきりと付いてしまったのである。
「こら!」ゴロは怒鳴った。
「わ! すいません」慌ててハクはその土器を引っ掴むと、ゴシゴシ撫でて縄の跡を消した。「これでよし、と。失礼しました」
ふたりは工房を後にした。
「おい、ハク、さっきから何ニヤニヤしてるんだ?」
「いや、良いこと思いついたんだよ」
「何を?」
「そりゃ秘密だよ、盗まれたくないからね」
「えー、友だちだろ! 教えやがれ、この野郎!」
「やだねー」
下り坂で元気を取り戻し、追いかけてくるゲンダから逃げながら、ハクは声を立てて笑った。
ひょっとしたら、俺は歴史に名を刻むかもね!
かくて、縄文時代の名の由来となった土器の網目模様のアイデアが全くの偶然から生まれたのだが、まだ文字のない時代ゆえ記録は残されず、そのデザイナーの名前は歴史に残ることがなかったのである。
(了)
【参考文献】
『知られざる縄文ライフ』譽田亜紀子 誠文堂新光社
『縄文ムラの原風景』御所野縄文博物館編 新泉社