笈を負い、故郷に錦を(2)
全集を読破するほどの愛読者だったから、太宰治のことは詳しく知っている。実をいうと、高校を卒業した春、津軽にある太宰の生家が「斜陽館」といって旅館となっているときに泊まりに行ったことさえあるのだ。後に本当に斜陽になって潰れてしまったらしいが。
長兄が国会議員を務めた程の素封家である実家の仕送りで、都会で勉強もせずに堕落した生活を送っていたが、尋常ではない文才の持ち主だから、そのだらしのない日々を面白おかしく脚色すれば作品は次々と仕上がる。『善蔵を思う』に何度も出てくる衣錦還郷という言葉を現代風に訳せば、いつかビッグになってやるぜということになろうか(古いか)。故郷への屈折した思いも、田舎臭い野心も、そのまま自虐的に作品に昇華されてしまう。
そこで思い出すのは、やはり三島由紀夫なのである。都会的でスマートな人物だったとして地方出身の太宰と対立させるつもりは全然なくて、この二人はやはり昭和ナルシズム文学の二大巨頭ではないかと考えているのである。第一華がある。共に読者を惚れ惚れさせるような文才の持ち主であるが、アンチも少なくない。
三島由紀夫に『私の遍歴時代』(今考えると、三十代でこんなタイトルの文章を書いているのだから、驚かされる)というエッセイがあり、これも高校生のときに読んで、なんとなく自分も又、これから都会へ出て、人生が開けて遍歴時代を迎えるのだなんて気分で読んだものだけれど、数十年を経て振り返ると、人生が開かれるようなことはなく、自分から切り拓くということもせずに、遍歴だとか人様に語って聞かせることができるような体験は何一つ積まなかったものである。それはともかく、『小説家の休暇』の太宰批判とは違って、『私の遍歴時代』では友人に連れられて、太宰に会いに行った話が語られているのである。「ぼくは太宰さんの文学が嫌いです」と言ったら、「そんなことを言っても、ここに来ているぐらいだから、やっぱり好きなんだな」なんて答えたというエピソードは有名だろう。そこではない。それに続いて(手元にあるのを読み返してみたら、エピソードの前でした)太宰の小説に見られるような、笈を負って上京した田舎者の野心を軽蔑するとある。この文庫本(中公文庫)にも註はなかったが、「きゅう」とルビが振ってあり、こちらは善蔵や省電や紀元節とちがって中学生のときから愛用している三省堂の新明解国語辞典にちゃんと載っている。「笈(おい)」の漢語的表現。「-を負って郷関を出る【=他の地に行って勉学をする】」とあり、「笈(おい)」の方を引くと、「修験者などが衣類・食器などを入れて背負う、足の付いた箱」とある。なんのことか。簡単に検索できる便利な時代になったものよ、とつい爺むさいことを思ってしまうのも仕方ない。
ついでに言うと、『斜陽』出版時の熱狂は凄まじいものがあり、比べると現代の読者は恐ろしくクールになったものだ、とある。未だ映画すら娯楽の中心ではない時代、テレビもなく、スポーツも放映されなければ人気が広がることもなかっただろうし、芸能は伝統となった時点で熱狂から切り離される。太宰に興奮する読者とロックに陶酔するオーディエンスを重ねてしまうのは、猫も杓子もバンドを組むという、空前のバンドブームを若い頃に経験したが故の偏見であろうか。田舎者は大望を抱いて、笈ではなく、それこそギターケースを背負って状況したものであった。
それにしても、田舎者の泥臭い野心を軽蔑するとは、いやはや、ヒドいことを言ったものである。正直、傷つきましたね。こんなことを今時Twitterで呟いたらそれこそ炎上案件で、もうamazonのレビューなど荒れに荒れて、「ファンだったけど、この人の本はもう買いません」などとファンでもないし、一冊も買ったことがない人に書き込まれてしまうのだろう。しかしながら、このエッセイが書かれた時代には、そしてそれを私が読んだ時代にも、Twitterもamazonも、それどころかGoogleさえ存在しなかったのである。だから、文芸批評の名目で著者の人格を否定したり、あるいは名誉を毀損することさえまかり通っていたのであるといえば、大袈裟にすぎるか。
私という人間は、小説を読んで言葉を学んできた者である。だから、「笈を負う」という表現に出会って、すぐに想起されたのが「衣錦還郷」であり、二つはたちまち頭の中でセットとなった。それとともに昭和の花咲く二大ナルシスト・スター作家もセットになったのである。
三島由紀夫という人は、学習院を主席で卒業して昭和天皇から金時計を拝受、東大法学部からキャリア官僚の道を進んだエリート中のエリートである。元から頭脳明晰な上に、ロックンロールではなく、刻苦勉励の人である。その一方で学習院時代から名だたる国文学者に混じって創作を同人誌に発表し、官僚時代も夜は小説執筆の二重生活を送っていたという。どうだろう、いつか訪れる(そして驚くべきことに本当に訪れた)文学による栄光をアリバイに酒やクスリに溺れる太宰の場合とは反対に、真っ当な社会人としての顔の方をアリバイに文学的な夢想を紡いでいるように見えてこないだろうか。まあ、体質的に酒を呑めなかったというし、同じ帝大生であっても、東京出身だから親元から離れた気楽な一人暮らしも経験できず、セクシャリティの問題もあったろう。
そう考えると、自死という共通点があるだけでなく、更に情死であるような、ないような二人の死に様の共通点、大向こうを当て込むような自死のあり方に思いを巡らせることになるが、それは衣錦還郷とは関係がないので、又別の折に。
(了)