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コリヤー兄弟を紹介します

 ゴミ屋敷をテーマ(?)にした小説を書いた。

 もう何年も昔の話になるけれど、川沿いのジョギングコースにゴミ屋敷があった。元は酒屋でビールケースやゴミ袋が山積みになり、空き瓶が道路にまではみ出して並べてある。通り過ぎる度に、どんな人が、どんな風に暮らしているのだろうかと気になったものだ。

 自分も又、油断するとゴミ屋敷の住人になりかねないという話も書いた。

 作品を書くためにゴミ屋敷や溜め込み症について色々検索していて知ったのがコリヤー兄弟(Collyer brothers)。以下、主に英語版のWikipediaの記事から、ホーマー(1881ー1947)とラングレー(1885ー1947)のコリヤー兄弟を紹介したいと思う。

コリアー兄弟は、マンハッタンの産婦人科医でベルビュー病院に勤務していたハーマン・リヴィングストン・コリアー(1857年 - 1923年)と、その従妹で元オペラ歌手のスージーゲージ・フロスト・コリアー(1856年 - 1929年)の息子であった。

Wikipedia(英語版)

 長じてホーマーは海事関連の法律家、ラングレーは技師兼ピアニストとなり、カーネギーホールで演奏したこともあった。二人は結婚せず独立することもなく、離婚した母親と地元ニューヨークのハーレムで暮らした。

 母の死後、1933年にホーマーが失明してから、兄弟は徐々に世間と距離を置き始める。それは高級住宅街であったハーレムにアフリカ系の人々が流入し、治安が悪化してゆくのと軌を一にしていた。

兄弟の型破りなライフスタイルについての噂がハーレム中に広まると、群衆が家の外に集まり始めた。注目が集まり、奇行とともに兄弟の恐怖も増した。10代の若者が窓に石を投げつけた後、兄弟は窓を板で覆い、ドアをワイヤーで閉めた。兄弟の家に貴重品や大金があるという根拠のない噂が近所中に広まった後、何人かが家に強盗を企てた。強盗を締め出すために、ラングレーは家中に散らばった物やゴミの山の中に仕掛け爆弾やトンネルを作った。家はすぐに箱の迷路となり、ワイヤーで仕掛けられたガラクタやゴミでできた複雑なトンネルシステムとなった。兄弟は天井まで積み上げられた瓦礫の中に作った「巣」に住んでいた。

Wikipedia(英語版)

 仕掛け爆弾を作ったと機械翻訳されたけれど、原文ではブービートラップとあるので、必ずしも爆弾とは限らないようだ。天井まで届くゴミの山にトンネルの迷路、そしてところどころに仕掛けられた罠……事実は小説より奇なり。自分のアイデアなんかよりずっと面白いではないか。

警官ともめるラングレーさん

 兄弟は、ミステリハウスの隠者として脚光を浴び、取材されて記事にもなっている。世捨て人、引きこもり、人間嫌い……自分はなぜか、どういうわけだか、こういうキャラに惹かれる、尾形亀之助とか、バートルビーとか……。自分自身はわりと寂しがり屋で、山に登ったり酒場に出入りしたり、インドア派ではないつもりでいるのだが、これが『負の魅力』というヤツなのだろうか。

 敬愛するNOTERの谷俊彦さまの記事(光栄なことに私の作品をご紹介いただいた)から、そんなことを思う。コリヤー兄弟にはたしかに強烈な負の魅力を感じてしまう。

 さて、電気・ガス・水道が止められると、ラングレーは近くの公園のポンプで水を汲んで、夜になると食べ物を漁りに外出する。彼はまた発明家であり、車のエンジンを利用して発電しようと試みていた(成功したとは一言も書いていない)。屋敷には15,000冊の医学書があり(本人談)、兄の目の治療も自分(自己流)で行っていた。根っからの医者嫌いっているよね。

 1947年3月21日、コリヤー邸から異臭がするとの通報があった。駆けつけた警官たちはゴミの山を掻き分け侵入を試みたが、結局ハシゴをかけて2階の窓から内部へ。5時間の発掘の末、「天井まで積み上げられた箱と新聞紙に囲まれた窪み」でホーマーの遺体を発見する。検視の結果、死後10時間、死因は飢餓と心臓発作。

こんまりさんもビックリだな

 次いで4月8日、ホーマーの遺体があった場所から僅か3メートルの所にラングレーの遺体が発見された。なぜ発見が2週間以上も遅れたのか(兄の葬儀はとうに済んでいた)。幅がたった60センチしかないトンネルの中で窒息死していたのである。トンネルを這って兄に食事を運ぶ途中で、自分の仕掛けた罠にかかり、ガラクタに押し潰されたらしい。それで兄が餓死とは、哀しすぎる結末。

トンネルの様子かな?

兄弟の死亡が確認された際には数千冊の本にグランドピアノ14台・自動車3台・大量の衣装に衣装ケース・数百点のおもちゃ・有刺鉄線等々120トンにも及んだ。

Wikipedia(日本語版)

 英語版だとさらに詳細で圧倒される。

警察と作業員はコリヤーのブラウンストーンハウスから約120トンの貴重品、ガラクタ、その他の品物を撤去した。家から持ち去られた品々には、乳母車、人形用馬車、錆びた自転車、古い食品、ジャガイモの皮むき器、銃のコレクション、ガラスのシャンデリア、ボーリングのボール、カメラ機材、馬車の折りたたみ式屋根、鋸架台、 3体の人体模型、絵画の肖像画、 1900年代初期のピンナップガールの写真、石膏の胸像、コリアー夫人の希望箱、錆びたベッドのスプリング、灯油ストーブ、子供用椅子(兄弟は生涯独身で子供がいなかった)、25,000冊以上の本(医学と工学に関する数千冊と法律に関する2,500冊以上を含む)、瓶に漬けられた人間の臓器、生きた猫8匹、ラングレーが改造していた古いモデルTのシャシー、タペストリー、何百ヤードもの未使用の絹やその他の織物、時計、14台のピアノなどがあった。 (グランドピアノとアップライトピアノの両方)、クラヴィコード、オルガン2台、バンジョー、バイオリン、ラッパ、アコーディオン、蓄音機とレコード、何十年も前のものもある無数の新聞と雑誌の束、何千もの瓶とブリキ缶、そして大量のゴミ。ホーマーが死亡した場所の近くで、警察は銀行口座の通帳34冊と、総額3,007ドル(2023年時点で約46,983ドル)も発見した。

 人間の臓器? 生きた猫、8匹?

 それはともかく、これぞまさにゴミに埋もれて生き、ゴミに埋もれて死ぬということではないか。いや、自分の存在すらもはやゴミと化している。壮絶である。そして、なぜか心を激しく揺り動かされる。二人は日々どんな会話を重ねていたのだろうか? 若い頃に恋に落ちたり、未来に夢を抱いたりしなかったのだろうか?

 これって、ひょっとして創作のネタになるよな……。舞台を日本に移して、周囲はすっかり再開発されているのに、古い屋敷に大量の蒐集物に埋もれて、世間と隔絶して暮らす老兄弟。ロマンだ。まあ、しかしですね、調べてみると当然のことながら、小説や芝居になっていましたよ。

 E.L.ドクトロウの小説、タイトルはそのまんまズバリ『ホーマー&ラングレー』。残念ながら邦訳はなし。そして、なんと本邦でも鬼才・荒木飛呂彦先生がマンガ化!

 まあ自分などの出る幕はないということで……。

跡地はコリヤー兄弟公園に。諸行無常


(了)



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