コリヤー兄弟を紹介します
ゴミ屋敷をテーマ(?)にした小説を書いた。
もう何年も昔の話になるけれど、川沿いのジョギングコースにゴミ屋敷があった。元は酒屋でビールケースやゴミ袋が山積みになり、空き瓶が道路にまではみ出して並べてある。通り過ぎる度に、どんな人が、どんな風に暮らしているのだろうかと気になったものだ。
自分も又、油断するとゴミ屋敷の住人になりかねないという話も書いた。
作品を書くためにゴミ屋敷や溜め込み症について色々検索していて知ったのがコリヤー兄弟(Collyer brothers)。以下、主に英語版のWikipediaの記事から、ホーマー(1881ー1947)とラングレー(1885ー1947)のコリヤー兄弟を紹介したいと思う。
長じてホーマーは海事関連の法律家、ラングレーは技師兼ピアニストとなり、カーネギーホールで演奏したこともあった。二人は結婚せず独立することもなく、離婚した母親と地元ニューヨークのハーレムで暮らした。
母の死後、1933年にホーマーが失明してから、兄弟は徐々に世間と距離を置き始める。それは高級住宅街であったハーレムにアフリカ系の人々が流入し、治安が悪化してゆくのと軌を一にしていた。
仕掛け爆弾を作ったと機械翻訳されたけれど、原文ではブービートラップとあるので、必ずしも爆弾とは限らないようだ。天井まで届くゴミの山にトンネルの迷路、そしてところどころに仕掛けられた罠……事実は小説より奇なり。自分のアイデアなんかよりずっと面白いではないか。
兄弟は、ミステリハウスの隠者として脚光を浴び、取材されて記事にもなっている。世捨て人、引きこもり、人間嫌い……自分はなぜか、どういうわけだか、こういうキャラに惹かれる、尾形亀之助とか、バートルビーとか……。自分自身はわりと寂しがり屋で、山に登ったり酒場に出入りしたり、インドア派ではないつもりでいるのだが、これが『負の魅力』というヤツなのだろうか。
敬愛するNOTERの谷俊彦さまの記事(光栄なことに私の作品をご紹介いただいた)から、そんなことを思う。コリヤー兄弟にはたしかに強烈な負の魅力を感じてしまう。
さて、電気・ガス・水道が止められると、ラングレーは近くの公園のポンプで水を汲んで、夜になると食べ物を漁りに外出する。彼はまた発明家であり、車のエンジンを利用して発電しようと試みていた(成功したとは一言も書いていない)。屋敷には15,000冊の医学書があり(本人談)、兄の目の治療も自分(自己流)で行っていた。根っからの医者嫌いっているよね。
1947年3月21日、コリヤー邸から異臭がするとの通報があった。駆けつけた警官たちはゴミの山を掻き分け侵入を試みたが、結局ハシゴをかけて2階の窓から内部へ。5時間の発掘の末、「天井まで積み上げられた箱と新聞紙に囲まれた窪み」でホーマーの遺体を発見する。検視の結果、死後10時間、死因は飢餓と心臓発作。
次いで4月8日、ホーマーの遺体があった場所から僅か3メートルの所にラングレーの遺体が発見された。なぜ発見が2週間以上も遅れたのか(兄の葬儀はとうに済んでいた)。幅がたった60センチしかないトンネルの中で窒息死していたのである。トンネルを這って兄に食事を運ぶ途中で、自分の仕掛けた罠にかかり、ガラクタに押し潰されたらしい。それで兄が餓死とは、哀しすぎる結末。
英語版だとさらに詳細で圧倒される。
人間の臓器? 生きた猫、8匹?
それはともかく、これぞまさにゴミに埋もれて生き、ゴミに埋もれて死ぬということではないか。いや、自分の存在すらもはやゴミと化している。壮絶である。そして、なぜか心を激しく揺り動かされる。二人は日々どんな会話を重ねていたのだろうか? 若い頃に恋に落ちたり、未来に夢を抱いたりしなかったのだろうか?
これって、ひょっとして創作のネタになるよな……。舞台を日本に移して、周囲はすっかり再開発されているのに、古い屋敷に大量の蒐集物に埋もれて、世間と隔絶して暮らす老兄弟。ロマンだ。まあ、しかしですね、調べてみると当然のことながら、小説や芝居になっていましたよ。
E.L.ドクトロウの小説、タイトルはそのまんまズバリ『ホーマー&ラングレー』。残念ながら邦訳はなし。そして、なんと本邦でも鬼才・荒木飛呂彦先生がマンガ化!
まあ自分などの出る幕はないということで……。
(了)