サカナクションのライブ会場が海だった話

そこは海でしかなかった。
青く静かな空間は深海、我々はうとうととたゆたうクラゲ。

開演前には、流れる穏やかで心地よい音楽と、なめらかに動く照明。
揺れる波に身を任せるように、その時を待つ。

予定時刻を少し過ぎたとき、幕の向こうで歌いはじめる、サカナクションのボーカル、山口一郎氏。
姿はスクリーンに映されるだけでまだ見えないが、深海から引っ張り上げられるような、優しい歌声。

幕が開き、世界を光が包む。
前方からの拍手で、「彼」の登場を知る。
急に眩しくなる視界、
気がついたら私は泣いていた。
どうしてかは分からない。
憧れの人を前にして感情が昂ぶったのか。
オープニングの和音が、ヒトに感動という感情を呼び起こす構成になっていたのか。
歓声が起き割れんばかりに拍手が響くなか、私はただ放心して涙を流していた。

しかし次の瞬間には、彼らのファンなら誰でも知っているイントロ。
その後はただひたすら踊り、みんな音になる。

6.1サラウンドはすごい。
音は、前から後ろから、下からも響いてきて全身をめぐる。もはや音を取り込むのは耳じゃなかった。指先や髪の毛からも音がからだに入ってきて、赤血球が酸素を運ぶように全身にまわっていく。それは甘美で脳をしびれさせ、ちょっとやばい物質を出す。
私の耳が聴こえなくなっても、たぶんあの音は聴こえる。

どんどん大きくなるノイズに、耳を塞ごうかと思った瞬間もあるが、限界に達する瞬間に一転して心地よいヴォリュームに落ち着く。
本当によく計算されている。

音って本当に波なんだ、ああここは海なんだ。
さしずめ私はミジンコ。いやどうせならクリオネがいいな、クリオネクリクリクリックリ。

彼らのライブは、よくあるロックバンドのライブのように、皆が右手を振り上げ飛び跳ねる、といった傾向はみられない。
曲の中でわかりやすくクラップが入っている場合は皆合わせたりするけれど、基本好きに体を揺らしたり、腕を振り上げたりするだけだ。
私はこれが心地よい。常に腕を振り上げているのは疲れる。

多くの成人の場合、日常で踊ることはあまりないだろう。私も例外ではなく、子どもを産んでからはおどけた動きをすることも増えたとはいえ、基本的には日々自制して生きているほうだ。あまり自分を解放することはない。しかしこの時だけはただ音に身を任せ、こころもからだも解放し、何も考えず、ひたすらに踊りくれる。
時々隣の人と手が触れてしまい、現実に引き戻されたりもするが。

もうひとつの特徴は、MCがないこと。つまり休ませてもらえないのだ。
しかも激しい曲は連続してやってくる。幸福な疲労ではあるのだが、途中、膝に痛みを感じたのは秘密だ。 腰も痛い。

ほぼ休みなしで怒涛の2時間の後、予定調和のアンコール。
アンコールでは3曲演奏した後、彼らが再び姿を見せることはなかった。
2度目のアンコールはなかったところがまた、彼ららしくて好感がもてる。2度、3度と出てくるアーティストもいて、それはそれで素晴らしいのだが、サカナクションに関してはただただ無骨に音楽と向き合っているバンドなので、それで良いのだ。ペットボトルやピックを投げたりもしない。客席に降りてきてファンサービスもしない。
彼らは、ミュージシャンであり、ミュージシャンでしかないからだ。
メンバーと観客に一定の距離があることも、彼らが音楽を産みだすにあたり大切なことなのではないかなと勝手に思っている。

さて、アンコールのラストのグッドバイという曲だが、これがまた恐ろしい曲でして。

彼らの最も大切にしているであろうライブ会場で、しかも大勢のファンを目の前にして、
「探しているものは、ここにはない」と言い切る潔さ。
その潔さは本当に恐ろしい。いったいどこを目指しているのだ。

彼らは満足しない。
ツアーのチケットは全公演ソウルドアウトが当たり前だし、
タイアップも多くメディアへの露出も増え、幅広い年齢層に広がるファンは増え続けているであろうに、
満足しないのだ。
ここまで成功しているのに、まだ上を上を見ている彼らが恐ろしい。いやもしかしたら、上ではなく深海のもっと深いところをみているのかもしれない。

ライブから一週間経つがもうあの音が恋しい。
新しくリリースされたCDが届き家のコンポで聴き込んでいるが、
音が前からしか聴こえないことが物足りない。音が足りない。
早くあの海に帰らないと禁断症状でどうにかなってしまいそうだ。

やっぱりあのスピーカーからは何かやばい物質が出ているに違いない。
絶対出てる。
音ください音ぉぉぉぉ!!!!!!!!!!

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