見出し画像

「ザルに水ぶっかけるようなもんじゃねえか」と地域振興に冷笑的だったけど、「これは地域の終活で楽しけりゃいいんだ」とようやく理解できた話

地域の人口は減ってる。それをどうにかしようと色んな地域で官民ともに頑張ってる人がいて、空き家回収したり、マルシェをやったり、宿泊事業やったりする。ただ自分はずっとその取り組みに冷笑的だった。例えば「 3万人の自治体で年間1-2%くらいづつ世帯数が減ってるのに、移住者を10人増やして意味あんの? 穴の空いてるザルに水をかけるようなもので税金の無駄だよな」みたいなことを腹の底では考えてた。

そんな自分が、妻の実家の近くの田舎に3年前に引っ越してきた。いま自分が住む海の横の集落は90人ほどの人が住んでおり、平均年齢70歳。地域の青年部は75歳までが対象だ。この街は元々、母の出身地で自分の母親と妻の父親は小中の同級生だった。縁だよなと思う。

画像1

引っ越した同じ町内に母方の祖父母が衣料品店を行なっていた土地があって、2年前に母親が相続した。そこで何かやってと頼まれたので、Hamaoka Pocket Parkという公園を作り、そこに無料で使えるシェアカフェを今年7月に作った(公式Instergram)。Hamaokaは祖父母がやっていた衣料品店がハマオカ衣料品店という名前なので、それにちなんだ名前。助成金も使っておらず自分の会社100%負担で作っており、誰でも無料で出店できるというのが少し話題にもなった。無料にしたのは、使用料取ったとしてもどうせ収支合わないので、お金の管理も面倒だと無料になった。

そこを始めると近所の人と知り合いになった。大体、祖父母の知り合いなので話は早い。近所のお店はほとんど過疎で閉店してしまったので、有機農産物の販売や、珍しいバインミーのお店、和菓子や洋菓子など日替わりでお店が出るのも喜ばれた。「金はかかったけど作って良かったし、近所にこういうお店ができて自分自身のQOLも上がったな」と思ってふと気がついた。今やってるのって自分が冷笑的にみていたザルに水をぶっかける行為に他ならない。では今、自分が感じる良かったなという感情はどういう経緯で生まれたのだろうか。

色々考えてみて、自分がおこなっているこの活動は一つの見方として「街の終活」なんだという結論に至る。人生と一緒で街にもライフサイクルがある。シャッターだらけの過疎の街は人生で言えば、どうお終いにするかというフェースだと思う。「人生の最後だからこそ誇り高く、豊かにしよう」という人の終活と、「人口が減って、いつの日か街が閉じるかもしれないけど、最後まで誇り高く、豊かな街でいよう」という過疎の街の地域活性化は似ている。人口をまた増やそうというのは街を若返らせる行為だが、日本全体で人間が減ってるので移民制度なしには若返りは無理だ。幕を下ろしつつある街の老後を豊かにする行為は、たとえ水が流れ落ちたとしても街が清く誇り高くいられること自体に価値があるんじゃないだろうか。そして今日も二日酔いの中、焼き菓子屋さんの出店の手伝いに行ってくる。


いいなと思ったら応援しよう!