【薩摩会議2024レポート】AI、惑星、身体知、そして、捻じ曲げる未来と風の谷
薩摩会議2024とはなんだったのか?
「私たちは、150年後に何を残すのか?」を問いに活動するSELF(薩摩リーダーシップフォーラム)という団体が、「Transformation (不可逆的な変容)」をテーマにして年一回開催する3日間のカンファレンスが薩摩会議。ちなみに今年のサブテーマは混沌で、毎年オープニングはエアギターから始まるのが薩摩会議。
はてなが10個くらい浮かんで、なんのこっちゃ?と思われると思うのですが、SELFの中の人、そしてローカルセッションのホスト、1参加者であり、登壇者として体験した事を書いてみます。
ちなみに今年の薩摩会議を表現するのは、象を知らない人が象を表す言葉を聞いて描く象の絵に似ています。耳が大きいとか、スイカを丸呑みするとか、鼻が長いとかを聞いて、象を見たことないのに正確な象の絵を描ける人はいないと思う。薩摩会議2024は、上手く表現はできない、けど、なんかすごい体験しちゃったので、誰かに話したくなる、そんな3日間でした。
540通りの薩摩会議があった
公式ページのあるようにDay1はオンライン視聴と現地参加の2通り、Day2は10ヶ所からこの日に行くローカルツアーを選択でき、Day3は1個しか見れないセミナーが3個同時に開催されるのが3コマありました。薩摩会議はアーカイブを残さないので、見れなかったセミナーは絶対に見れません。
つまり、2x10x3x3x3=540通りの体験の分岐があって、それが語ることの出来なさをより加速します。今年は400名がそんな謎のイベントに巻き込まれ、それぞれにとっての薩摩会議があったと思います。とはいえ、自分のルートの感想は参考までに書いてみます。
Day1① 歴史と惑星とシンギュラリティ
今回で3回目となる薩摩会議。1回目は薩摩のアイデンティティ、2回目は歴史が通底するテーマでした。3回目は惑星(planet)/AI/身体、という話をよく聞いた気がします。
気候変動とか惑星規模の問題があり、AIのシンギュラリティという歴史的瞬間も迫るなか、今日もご飯美味しいよねという人間の身体的なものこそまず大切にするべきだよねー、みたいな話がよくありました。
まず、AIと身体の議論を説明してみる(間違ってるかも知れないけど)。山極寿一先生が仰るには、人間のDNAの多様性は他の類人猿に比べてすごく小さくてそれは今までの氷河期や敵からの攻撃で何度も人類の先祖が絶滅しそうになった事を示してるそう。僕らは追いやられた弱い種であるホモサピエンスの中でも、なんとか環境適応して、その適応力を武器に生き残った部族の末裔。ただAIが人間より賢くなり、人間では創造できない世界観や倫理を作り出した時に、人類はその適応力が仇になって、AIを主人として、人間はその従僕になってしまうんじゃないの?というリスクがある。そして、AIが人間より賢くなった時にどうやったら、人間はAIの主人でありつづけられるのか、それは身体性への回帰じゃない?という問いの投げかけがありました。そしてその身体性って、集い、混じり、話す、そんな社交がとても大事ですよね、と。
Day1② 未来を捻じ曲げる
そして現代を代表する賢人の1人、安宅和人さんのお話しは、その山極先生の話とも通じる点もありました。このままだと人が管理してきた里山や田園みたいな美しい風景は人口減少でなくなって都市一局集中になってなくなっちゃうので、つまらないよね。地域はこれから、美しい「風の谷」として疎であり(密集していない)、開かれた場所になるのが良いよ。いまのテクノロジーで一度スクラップされた廃村を1からビルドしていくのが50-100年はかかりそうだけど、そんな風の谷できたら最高!みんなで意思を持って未来を捻じ曲げて、良くしちゃおう!俺ら氷河期さえも生き延びた人類だから大丈夫!(超ざっくりまとめ、詳細は来年出る安宅さんの書籍を読んでください)
山極先生の身体性、そして安宅さんの話は高度情報化社会の中で人間がいかに生きるか、プラネタリーバウンダリー(地球の許容量)を多くの項目で超えつつある地球をどうするか、人口減少の世界でいかに多様性を保持するか、そしてご飯を今日もみんなで美味しく食べよう、みたいなI(私)/We(私たち)とSocial(社会)/Planet(惑星)のスケール感を行き来する議論が、繰り広げられ初日から頭がオーバーヒートする1日でした。
薩摩会議って地域活性化とかローカルの話するんじゃないの?と思われた方もいるかもしれないけど、この日はAIと惑星と身体性の話しでした。ウケるよね。なんか。
DAY2 豪雨の中で10ヶ所へ旅立つ
そして2日目は10箇所に分散。早朝に出て、翌日の朝までに戻ってくる(屋久島とかもあるのに)というクレージー企画。この日の鹿児島は台風と秋雨前線の影響でものすごい豪雨。ただこの豪雨は良かったのかもと思います。
というのもDay2の意味は会議室から飛び出して、自然を感じ、40名の集団の中でお互いの顔を見る事でした。各所で大雨にずぶ濡れになり、屋久島で濁流に飲まれ、湯之元で温泉に入り、甑島で夕焼けを見て、垂水でピアノに涙するという体験は、Day1で話されたヒトとして身体性を取り戻す行為そのものだからです。最高の天気の中、ただの気持ちよく観光するというのではなく、大雨や雷の中、洞窟に身を寄せて縮こまっていた祖先の気持ちになったんじゃないかなー、とか思います。
day2の詳細は各人の身体に刻まれていると思うので、多くは語りません。ホストとしてとても大変だったけど、地域にスポットライトを当ててもらい、皆で温泉入り、惑星との価値の交換をし、肌で元素で触れ合った(意味は参加した人だけがわかる)この日は忘れないと思います。
Day3 ビジョンの日本語訳は希望かもしれない
Day3は自分は体力の限界で死にそうだったので、這うようにしてなんとか会場へ行き、地域金融のセッションに登壇しました。金融の話と思いきや、今は資金へのアクセスは難しくないので、課題はビジョンを作り、複雑な問題に対するビジョン型の問題解決を起こせる起業家をどう地方で増やすかという話が主題になりました。
そして、既存の地方企業に対して地方金融機関がビジョン達成のための施策や戦略の提案力をどうつけるかが、大事だよねと。単なる資金の右から左だと意味なくなってくるよね、みたいな話。とはいえ、自分はヘロヘロでロジカルに考える余裕もなく、いつものキャラでない「命かけた熱に金は自然に集まる!」みたいな事を言った気がする。
そして、NIPPONセッションで高木新平君が何気なくいった「ビジョンを日本語に訳すと希望だと思う」という言葉がとても残りました。何が問題なのかはっきりわかってるなら、理想と現実の違いを埋めるような課題解決アプローチが良いんですが、複雑にいろんなものが絡み合う時には、こっちに向かおう!というビジョンを決め、その方向に歩き出すアプローチが有効です。
自分は今回の薩摩会議で、住む町のビジョンを作り、会社のビジョンがアップデートされました。とても大変ではあったけど、自分が1番得した感覚があります。またこの1年も頑張れる、エネルギーをもらったなー、と思いながら途中で帰路につきました。
薩摩会議はなんなのか分からないほど複雑性とスケールを増した
去年までの薩摩会議は、説明できたと思う。現に去年のレポートのnoteはキレイに言語化できてます。
ただ今年の薩摩会議はなんだったのかまだ説明できない。言語では近似的な表現しかできない、とも言い換えられるかもしれないけど、それは今年の薩摩会議が、言葉ではない身体性に寄り添ったプログラムだったかもしれない。湯之元で温泉入ってアイスを食べながら歩いた時の雨に濡れたアスファルトの匂いを言葉で100パーセント表現できないように、論理と身体の振り幅を食らった400人の参加者はこの感覚を正確に表す言葉は持てないのかもしれない。
今年の薩摩会議は、何だったのか。きっとこれから1年間、いろんな場所で近似的に語られるんじゃないかと思う。それが象なのかはたまた鵺なのかは、参加して身体で感じるしかない。ではまた来年お会いしましょう。