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鹿児島から見た薩摩会議2023

「150年後の未来をどう私たちは作るのか?」に関して話続けた薩摩会議2023が終わり、皆それぞれに何かを受け取って家に帰れたかと思います。主催団体のSELFの理事として、Day3のセッションに登壇させてもらった参加者として、鹿児島県に住む市民として、感じたことを、まだ消化しきれないこのタイミングで書いてみようと思います。

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薩摩会議3日間の構造について

この薩摩会議、初日から3日目にかけて、テーマが抽出から具体に傾斜がついていたことにお気づきでしたでしょうか?基調講演の「歴史」と「文明」という大きなテーマがあり、最終日には、1日通して行われた「ドルフィンポート(鹿児島の都市デザイン)」や「地域企業」などの身近な具体なテーマになっていました。

今年の初日の基調講演の「歴史」と「文明」で与えてもらえた大きなテーマが最終日の具体の話まで一貫して残り続け、議論をリードしてもらえたんじゃないかと思います。自分の受け取った内容をまとめます。

明治維新と、あるべき人間像

初日のセッションで、明治維新は「身分制度の消失」が大きな価値転換になったいう話が出てきました。それまでは、身分の中で良い市民、良い人間であることが規定されていたけれど、その価値が消えたという事です。そのあるべき人間像は、その後、軍事国家の市民像になり、戦後は企業戦士とそれを支える家族、へと変遷しました。

人は何に違和感を感じ、社会での息苦しさを感じるのか。それは社会に押し付けられる人間像と自分自身の姿に違和感を感じる時です。現代人は人それぞれ「違和感」を日々持ちながら生きており、企業戦士ではない、次の時代のあるべき人間像が必要だということに気がつきはじめている、じゃあ、それって何なのか?

「生命力」と「お金」、AIと狩猟採集への回帰

新しい人間像のキーワードは「生命力」だそうです。「生命力」は測れないし、比べられないし、貯められない。逆に良き企業戦士の指標の「お金」は、測れるし、比べられるし、貯められるので、それが人を苦しめているんじゃないか(お金の話は「社会変革」のセッションでも出てきましたね)。生命力は、良い状態である(be-ing)ということが大事だし、自分自身でどうか主観的に決めることができるというのポイントです。

もちろん自分たちはまだ資本主義の時代に生きてるし、毎日「1年で売り上げ 〇〇億円!」とか「100億円資金調達!」みたいなニュースを見ます。それはまだ今、自分たちがお金によって人間の価値を測る社会の中で生きているからです。ただ「小さな違和感」も生まれているし、それが田舎暮らしへの憧憬やウェルビーイングという概念を生んでるんじゃないでしょうか。また、テクノロジーが大きく状況を変えつつあります。「文明」のセッションで山極先生がおっしゃった「ITの進歩やAIの発明で、人類は狩猟採集生活に戻れるのかもしれない。農耕民族よりも物を持たない生活だし貯め込みもしない。道具はシェアができるので、人類は環境負荷の小さい生活を実現できる」というのは、希望かもしれません。

「薩摩会議」と「日々の生活」をどう繋げるのか?

自分自身に今回の薩摩会議と日々の生活をどう繋げるのかという問いがあります。今回、薩摩会議に集まった登壇者(北海道から沖縄まで全国各地、アメリカやベルリンから来た人もいました)は、いわいるアウトサイダー(社会の「あるべき人間像」なんてクソ喰らえみたいな人たち)です。

ただ、鹿児島に住んでいると多くの「あるべき人間像」を強いる社会だと感じます。自分は身もふたもない言い方をすれば、「金持ちの家に生まれた学歴ある経営者で中年男性」という鹿児島社会的な強者なので、「勝手に周囲にチヤホヤされて気持ちが悪い」という点を除けば、苦しくありません。ただ、鹿児島は「女だから」「若いから」「長男だから」という「企業戦士とその家族」であることを強要するプレッシャーの強い社会です。(それは鹿児島が近代社会=企業社会を作るという成功体験があったからその人間像を強いる傾向が強い、という分析がありましたね)

今回の薩摩会議では「アウトサイダー」がお互い好き勝手語り合っていましたが、ただ実際の日々の社会は前時代的な「良き人間」であることを強いられます。では、その良き人間像の強制を行わせないという社会変革を起こすにはどうしたらいいのか?「社会変革」のセッションにヒントが語られていました。それは「古いものを変えるのではなく、新しく作り出すこと」、そして「無理のない範囲で振る舞いを変えること」。古い場所と戦うのではなく、新しい価値観が溢れる場所作り出すことで、社会の構成が変わっていきます。また、子育てをしたり、生活もあるので、坂本龍馬のような変革者にはなれないかもしれない。ただ日々の生活の中で自分自身が気持ち良い(生命力をUPさせる)範囲で、少しの振る舞いを変えることが変わっていくのではないでしょうか。

「社会変革」のセッションだったか、Place based Social Innovation(地に根差した社会変革)の話が出てきました。地に根ざしていないと価値観の合うアウトサイダー同士でだけつるむ蛸壺になってしまう、そこからは価値観の対話がないので何も生まれないという反省があります。薩摩会議にもそういう批判はあるでしょう。ただ、今回参加してくれた皆は地域に帰って今日から当たり前の日々が始まります。1年に1回、そういう感じでいいんだよと言ってもらえるこんな場が鹿児島にあるのは自分にとってもありがたいです。

薩摩会議はどこにいくのか?

昨日、日置市のアフターツアーで薩摩会議のリーダーでもある野崎恭平と温泉に入りながら「来年どうする?」という話をしたら、彼は「薩摩会議のベースにあるのは、鹿児島のチャレンジャーたち。これから1年、これから頑張るチャレンジをベースにして、来年の薩摩会議はまた年明けにでも組み立てましょう」と言ってました。自分も今日から日常が始まります。1年後、生命力に溢れる状態でまた戻って来れるよう、日常を生きていければと思います。

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