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朝7時からの集落清掃に出て思った。コミュニティの行き先のことを暗く考えるのはやめて、分散型の新しい村を作ろう。

今住んでいる海近くの地区は昔、赤崎村という名前だった。その後、東市来町の赤崎集落という名前になり90名ほどが住んでいる。うちは引っ越してから赤崎集落7班に所属しており、公民館清掃や集落清掃など公共活動にも参加中。他にもパークゴルフ大会とか、健康体操とか高齢者見守り活動とかもあって地域の公共サービスが維持されている。

日々生活すると、いわゆるコミュニティの共助というもので成り立っている部分が沢山ある。高齢者の見守り、草取り、清掃、野菜や魚の相互贈与など、個人所有からはみ出てるパブリックな部分を皆で少しづつリソース提供して集落の快適性が成り立ってる。

今朝は定例の集落清掃が朝7時からあった。そんな日に限って朝の気温が1度しかなく、寝ぼけマナコで参加。カバー写真はその時の実際の写真で、空き地の笹を皆で切り落として電線に引っかからないようにしている所。本当はここの土地の所有者がするべき作業だが年2回の集落清掃の時はここを綺麗にするのもタスクの一つ。写真のおばちゃん達は70代と80代。役に立たない自分は後ろにくっついて笹を拾い、一輪車で野焼き会場までピストン輸送をしていた。

「10年後はどうなってるだろう?」という言葉はあいさつのように住民間で交わされる。皆どこかでは不安なのだ。90人のうち、40代以下は子供含めて2割ほど。でも一輪車押してふと思った「先のことを暗く考えて心配してもムダじゃないか」と。

集落機能の維持は最終的には政治、制度マターだから自分達ではコントロールできないし、人口減を補うほどの人口数や移住を住民主導で行うのも無理だろう(その誘致努力はするべきだが)。そして一番は分散的な集落の仕組みが作れていれば、そもそも人がいなくなって困ることは実はそんなにないんじゃないかという事だ。

国交相の計画など見ると過疎地は潰し、医療や教育などのサービスを中核的な地域に集積して効率的な地方都市運営を行うという。市町村の合併はもちろん県の統合もあるかもしれない。でもそれって中央集権的な発想だよなと感じる。

少し未来の姿を想像する。医療も遠隔で診断出来るようになり、薬はドローンが届けてくれるだろう。診断の結果、必要なら1時間自動運転で病院に行けばいい。教育は今でもオンライン可能だ。過疎地への送電施設管理がコストかかるというなら固体燃料電池を高気密なZEHと組み合わせて住居もオフグリッドにする。伸びた近所の空き地の枝は農業用ドローンがカットしてくれて花の種を地形を画像認識して自動散布もしてくれる(森林再生で実際にそれをするベンチャーがアメリカにある)。パークゴルフはセンサーつけてVRでも世界中の人と出来るだろう。他に困ることはなんだろう。大概なんとかなりそうだ。

そう見ると、そんなに未来の過疎も悪くないじゃないか。引っ越す時に言った「過疎で周りが高齢化するなら皆いなくなった後にカンタ王国作れるってことじゃん!」は、割と現実になるのかもしれない。

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