「恫喝的なコミュニケーション」が仕事だった時代の終わりと、これからの「人の可能性を諦めない」コミュニケーション
異なる組織と話をすると、恫喝的なコミュニケーションをとってくる人が多く、個人的な経験では年上の男性に多い(オッサンに限定するのはステレオタイプで実際には老若男女いる)。オラオラと乱暴な言葉使いしなくても、私は誰々さんと旧知だとか、あなたの上司(や親)を知ってるといういわゆる「マウント」(※相手よりも上のポジションをとり、優位性を自慢したり威圧的な態度をとったりすること)を取られることもあり、これも恫喝的なコミュニケーションだと言える。
今、組織マネジメント的には一番組織のパフォーマンスが上がるのは「個人個人が内発的なモチベーションを持って働く状態」と言われている。上司と部下同士の対話も、会社のパーパスの設定も、そういう社員のポジティブな心理状態を作るためにあるし、経営者も上司も人事部もそのために組織を作るのが大切な仕事だ。対外的にそういう恫喝的なコミュニケーションをとっている人が社内では協調的なコミュニケーションを取ってるとは思いづらく、勤務時間中ずっとそういう人と関わらないといけない部下の人が可哀想に思えてくるし、この会社とは取引したくないと思う。
「俺が一番偉いんだ」「俺が偉いので俺の通りにやっておけばいいんだ」と言ってくるオッサンが未だにいるのは何故だろう。それは、おそらくそれが「仕事が出来る」とイコールだった時代があったのだろう。特に社外の取引先に対して恫喝的なコミュニケーションを取り、有利な条件を勝ち取ることが「仕事が出来る」だったんだろうなと思う。取引先とマウントの取り合いをして、時に恫喝的に、時に飲み会の4次会で深夜に肩組んでカラオケ歌って涙を流すのが、仕事だったんだろうなと思う。
ただ、今の時代の合理的な経営の中に「恫喝」が存在できる場所はない。少なくとも自分の会社には社内にも対社外にも存在させたくない。良い商品を誠実に提供して嘘をつかないあり方でビジネスを成長させたい。酔っ払った後でなく、ちゃんと1対1で業務時間中に対話を作りたい。ライフプランに合わせて可能な限り仕事を続けてもらいたいとも思う。
自分も感情的になる時があるし、経営も人間もキレイな部分だけでは無いとは思う。10年前に社長になるときの中長期計画に掲げた「人の可能性を諦めない」というフレーズがある。実際には「これがなければクビにできるのに」と100回くらいフレーズを掲げたことを後悔したのだけど、「人の可能性を諦めない」の額は掲げたままにしておきたい。また後悔しそうな気がしてて、次の計画ではこっそり消そうと思ったが、ここに書いて逃げ場を消しておく。