R.I.P.冬月コウゾウ
シン・エヴァで最も好きになったキャラは、冬月だった。シンジでもレイでもアスカでも、ミサトやリツコでもなく、冬月だった。
正直、シン・エヴァまではそこまで冬月に感情移入していたわけじゃないので、自分でも意外だった。
もちろんシン・エヴァだけでなく、エヴァンゲリオンというシリーズの中で、最初は冬月先生が好意を持っていた相手はユイだろうし、ゲンドウを嫌っていたと思う。けれども、あれだけ長年ゲンドウの隣にいて、「碇の我儘に付き合ってもらうぞ」と言うのが、まさに理想の悪役副司令のセリフという感じで、いいんですよね。ユイを好きな冬月の我儘ではないんですよ。
それと比較すると、冬月先生の最後が悲しくてさ。冬月先生はユイにしろゲンドウにしろ、自分のゼミの生徒達に何らかの感情を持っていても、教師だから手は出せないじゃないですか。ただ、見届けるしかない。『天気の子』の須賀さんみたいに、主人公達を物語の辺縁から見届けるキャラクターだと思うんですよね。
だから、冬月先生はシン・エヴァでの自身の最後を納得してしまっている。自分は見届ける立場でしかないと分かっている。
でもさ。冬月先生は、ただ見届けるだけのキャラクターじゃない。ミサト達から失望されて敵対され、スタッフも全くいないネルフ本部で、ただ一人、あの碇ゲンドウの隣にいたわけじゃないですか。冬月先生はミサト達率いるヴィレを苦しめた重要人物でしょう?なのに、気合いでLCL化を耐えて、自分の役目が終わったと感じたら一人でLCLになっちゃって…旧劇ですら冬月先生がLCLになる時はユイの幻影が見えていたわけですよ。シン・エヴァで旧劇よりも最後の扱いが悪いの、冬月先生くらいだよ。
つまり、シン・エヴァの冬月先生のラストは、「物語を見届ける傍観者」としての終わりであって、「ゲンドウを最後の最後まで支えた副司令、という物語の登場人物」としての終わりではない気がしたんですよね。
正直、冬月先生がゲンドウにどういう感情を持っているのか分からない。でも、ユイに対する好意だけで、シン・エヴァまでゲンドウについてきた訳じゃないんですよね。「碇の我儘」であって、冬月の我儘ではないんですよ。
僕は、シン・エヴァの冬月初登場シーンで、少し涙ぐんじゃったんですよ。渋くて頼れる副司令というより、完全におじいちゃんの声なの。その声だけで、彼がネルフ本部でゲンドウと二人きりでいた年月の長さを物語ってるんだよ。
シンジと将棋をするシーンの「老人の趣味に付き合わせてしまって…」というセリフの通り、ゲンドウと違って冬月先生は自分が年老いたことを認識しているんですよね。それだけの年月を、冬月は碇の我儘に捧げている。
でも、シン・エヴァでは、そんな悪役女房的な冬月先生に対して、ゲンドウは一目すら見なかった。もっとさ…こう、何かないの?
いや、分かるよ。シンジとゲンドウの対話やらゲンドウの回想シーンの中で、ゲンドウが冬月に一言でもかけると、父と息子の話ではなくなてしまうし、作劇上の不純物になってしまう。そんなことをゲンドウがするとは、冬月先生も考えてすらいないだろう。
大体、ゲンドウの回想シーンを見ても、アイツの精神性は大学三年生のオタクくらいで止まっているわけですよ。「そこにいたのか…ユイ」じゃねえよ!!最初からいたんだよ!!父親になった実感のない一年目の父親か、お前は!!
いや、あれは、父親の幻影に怯えていた息子が成長して、父親の小ささを知って許す場面なんだろう。整合性は取れているとは思うし、冬月先生もゲンドウをそういう奴だと思っていて過度な期待はしていないと思う。
でもさ…それじゃ、あまりにも冬月先生が報われないじゃないか…。
だって、シン・エヴァでは様々なキャラクターが救われているのに、冬月だけは報われないことを納得してしまっているんだよ。S-DATだって、他者を遮断するためのガジェットから、『デビルマンcrybaby』のバトンのように、レイからシンジへ、シンジからゲンドウへ、息子から父へ渡すポジティブなアイテムへと生まれ変わっている。
『NEON GENESIS』だってさ、「新劇場版になって、僕の名前も使われなくなったけど、結局どういう意味だったのかな…」と途方に暮れていたところに、
シンジ「NEON…GENESIS…!!」
とシンジに意味を与えられてさ。そりゃ、泣くでしょ。NEON GENESISだってさ。単なる思いつきのかっこいい名前かと思っていたら、きちんと意味を与えられてさ。「シンジさん…!!」って喜ぶよ。
冬月先生はウォークマン以下、NEON GENESIS以下の扱いなんですよ…冬月先生は納得できても、俺が納得できねえよ!!
個人的にベスト冬月を考えてみるとさ。
後半のマイナス宇宙シーンで、鉛筆画のゲンドウの回想が始まるじゃないですか。アイツの内面では、自分とユイ以外の人間の解像度が低いんだけどさ。あそこに冬月がいてほしい。
電車の中でゲンドウがシンジを見つめて、「そこにいたのか、ユイ」と言うシーンで、シンジの隣に冬月もいてほしいんだよ。
けれども、ゲンドウは冬月に対して、一目すらくれない。ただ一人だけ自分についてきた副司令たる冬月を、何とも思っていない。エゴイストだから。そんなことは分かっているんだ。
そんなゲンドウに対し、「仕方のない奴だな、碇」と言わんばかりの静かな笑みを、冬月先生に浮かべてほしいんだ。
そして、ゲンドウの後ろについて、冬月も電車から降りてほしい。「あとは任せたぞ、第三の少年」と、シンジに言い残しながら。
いつの時代でも、老人の最後の仕事は若者に何かを任せることだから。そうしてくれたら、僕も成仏します。
---ーーー----追伸---ー----ー
何で僕が冬月先生に感情移入するかと考えたら、冬月先生から「不憫な状況にいるけど、そのこと自体に納得してしまっている不憫女子」特有の香りがするからだと分かりました。
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