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ジェンダーにも人が発する言葉にも境界線は無いという御話
この件自体に触れるかずっと迷いつつ
ryuchell(りゅうちぇる)氏の訃報に際し渦巻く様々に、あえて別視点の話をしたいと思い記事を綴りました。
始めます。
線引き そのいち
私ね
昨年りゅうちぇるさんがpeco(ぺこ)さんとの婚姻関係を解消しお互いパートナーとして子を育てゆく事となった際に一番に感じたのが
りゅうちぇるさんにとって自身の性自認もぺこさんを愛した事もどちらも本当に大切な事で、騒がれてるような「自分の事ばかり」だのそういう話ではないよねって事だったんです。
家族を既に持ってしまっていて、でもだから一生自分を閉じ込めて苦しんだままでいないと仕方ないなんて言える訳もなく
でもだから家族の形を変えても仕方ないなんて言える訳もなく
結局は当事者のお二人がお子さんの事も含め家庭の中で話してベターを見付けるしかない、他人が何も言える事なんてない話でしかなかったはずなんです。
当時この件で知ったのは、一般にも存外”同様”の家庭が存在している事でした。例えば配偶者が実はトランスジェンダーで..といった(※状況やその後の事は家庭によって様々です)。
そうした事はネットだからそっと話せた人など氷山の一角で、社会にはもっと溢れているのかも知れません。それでもそれこそ”墓場まで持っていく”事にして表面上は一般的な夫婦と何ら見分けは付かなかったりもするのかも知れません。
私も知人から、異性婚をしてはいるが実は自身が同性愛者である事を明かされた事がありました。
お相手の事は特別だったこと、簡単に線引出来ない様々な話を伺ったものでした。
人によってはそうした事を理解出来ず「嘘をついて浮気をしたいんだろう」等と考える人も居るようでした(※勿論様々な立場の方の想いを踏みにじる形でそうした嘘をつき行為に及ぶ愚者も実際に居るのだとは思います)。
逆に、自身の性自認に関わらず異性婚に至る人の存在を受け止めながら、「ジェンダー云々でなく心変わりからの離婚と何も変わらない」と、ぺこさんに肩入れするていで他人の家庭に勝手な憶測を投げつける人達も居ました。
それは実際
ぺこさんにとってはそれまであった幸せな家族のカタチが婚姻関係を伴わない形に移行してしまうこと
「それ以外は変わらないのだから」などと他人が勝手には言えない大きな事だったと思います。
りゅうちぇるさんからしても大きな事だと解っていたから板挟みになりまた苦しんでいた事だったのだと思います。
先述したように
異性愛者なら異性だけが/同性愛者なら同性だけが、恋愛や性の対象とも限らず
また、性自認だって男/女の2種類ではなく
更にそれらと恋愛対象を簡単に結び付けられるとも限らず。
昨今、これらを悪用する犯罪者が出て来ている事で話が淀んで本当に居た堪れない心持ちにもなるのですが、本来は只々個々人の心と生き方という他人が干渉すべきものではない各々の大切な人生の基盤の話でしかなかったはずなんです。
勝手な憶測記事も多い中で、りゅうちぇるさん本人は恋愛対象が女性である事を明言していました。
例えば上の記事(※アベマらしくわざと誤解を招くよう付けられている酷いタイトルなので引用迷いましたが、内容は本人の言葉ですので他にゴロゴロしている憶測記事より遥かにきちんとしたものと感じ貼っておきます)でりゅうちぇるさん本人が語っていたのは、
自身が男性として生まれ男性として育って来て、でも性自認(自覚している性別)は女性であり、”これで男性が好きならまだ分かりやすかったかも知れない(※本人談)”が性的指向(恋愛対象の性別)は女性という事です。
ここでずっと悩んで来た事が昨年のぺこさんとの婚姻関係解消にも繋がっています。
ぺこさんを女性として愛している事と、”夫”では居られない苦しさ、これらが両立する事がどれほどにも世間には伝わりづらかった。もっと言えば伝わりづらかった事自体も想像もされづらいものだったと感じていました。
線引き そのに
半端なLGBT知識でりゅうちぇるさんの外見や仕草から”トランスジェンダーだから体が男性でも男が好きなんだろう”と勝手に考えてこの話に口を挟む人も多いようながら、そもそもがそうではない前提が周知されない中で沢山の酷い声が生まれていました。仮にそうであっても投げていい訳もない言葉が、その上で。
”誹謗中傷”があのひとをしなせたと、また解りやすい線引をして断罪しようとする声もこうした件では渦巻きます。
実際に度を越した判りやすい酷い言動はそれは多かったのでしょう。
ただ
これはりゅうちぇるさん自身の性自認と性的指向の関係のように、どこからどこまでがと線引される簡単な話ではない事を今回より強く感じました。
要は「ジェンダー云々関係なく離婚事案として私は物申している」という声だとしても、何だとしても、重なって重なって渦巻いて
”あなた”の声もりゅうちぇるさんの命を奪うのに加担したのやも知れないこと。
”誹謗中傷”した一部の”悪人”がころしたと”誰か”に擦り付けて自分は安全圏にいようとする人が沢山SNSには居ます。
相手が表舞台に居る以上はこの程度は誹謗中傷ではないでしょと自身の投げる言葉に線引をする人が居ます。
線引き そのさん
りゅうちぇるさんが”解りやすいLGBTQ”として簡単に”分けて”語れない背景を持ちつつ表舞台で活動されていた事で、大勢の人が救われて来たのだと訃報後の街の若者の声でも沢山感じるものでした。
それは例えばそれこそLGBTQとカテゴライズされる人がではなく、”普通”に生きながらも只少し”性別から考えるとおかしいとされる想い”を自身や他者に抱える人なんて本当に沢山居て、そうした人達の声でもありました。
可視化され公言に抵抗が除かれていった昨今というだけで、こうした人達なんてずっと昔から居たはずで、何にも”特殊”な人達なんかでなくて、今はそうした事が”普通”にあっていいんだと様々なケースが知られて来た世界になってきているのだと常々感じていて。
あなたも誰かも、”特別”ではない、大勢居る誰かの一人でしかないこと。
(私自身、異性装や、一般的に異性が好むとされるものを好きになる事が多いのですが、別段異性になりたい訳ではありません。
私は私です。そうして生きています。
ただ、それを表立って言えば、それに共感を持ってくれる人も居れば、それを攻撃対象と考える人も居る事は、身を以て知ってきています。
祈り
掴んだ幸せの先に、自身にも嘘をつかないでいられる選択肢を見付け前に進んだはずの一人の人生が、切断されてしまった事に 言いようのない気持ちを抱えてはいます。
あの日の直前りゅうちぇるさんは、ぺこさんとリンクちゃんと3人で一日中素敵な時間を過ごして、いつものようにまた再会する形で「いってらっしゃい」したと
ぺこさん自身からの発信がありました。
せめてものあのひとの冥福と、
昨年の決断に様々あれど共に前に進む事を選び歩んで来た
あのひとを愛し、愛され、今も生活を共にしていたふたりの人生が
これからも幸せなものであることを願って。
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![花迸和裄❀@k_kahoh](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/109220906/profile_e0544d6dc9bf8f6b0b383b300734e91b.png?width=600&crop=1:1,smart)